2017_06
05
(Mon)20:49

DY、新たな進化論

ご無沙汰しています。そろそろブログの広告表示が気になる今日この頃(笑)いかがお過ごしでしょうか?いいかげん更新しないとということで、落ち着いた時間もできたということもありゆっくり腰を落ち着けてこれを書いてます。
このブログも僕DYの進化の記録として12年ぐらい続けてきてますが、12年前の自分がここを始めたときにまさか主夫になっていようとは思いもせず、ほんと人生は何が起こるかわからないもんだなーと実感しています。
この1ヶ月、本当にめまぐるしく過ぎて生きました。先月26日に引越しをしまして、38年間生きてきて初めての一人暮らしを経験しています。ヘルパーさんの力を借りてはいますが、慣れない家事、炊事、洗濯もなんとかこなしてます。
洗濯は学生時代、寮生活をしていたころに経験があるし全自動洗濯機なので放り込んで電源とスタート押せばあとはやってくれるし、15年ぶりぐらいではありますが勝手はわかっているというか。問題は炊事ですね。
まったくやったことがない世界。高校時代の家庭科のテストで味噌汁を作る実技テストがあって、それでなにもできずに終わった経験があり、「おれには料理など無理だ」と勝手に悟ってました。カップラーメンも満足に作れないレベルからのスタートです。
ですがいよいよ一人暮らしを始めるということになって、確かに家事援助でヘルパーは入ってくれるけれど、なんでもかんでもおんぶにだっこでは今までと変わらない。ここは一つ覚悟を決めて料理のできる人になる、その扉を開けてみようと。
それで調べたり一人暮らし経験のある視覚障害者の人に話を聞いたり、その他twitterやパラビを通じて出合ったたくさんの人たちにいろんな知恵を授けてもらいました。ダイソーのグッズでレンジさえあればゆでられるパスタのグッズや、火を使わない料理のレシピ。
更には引っ越し祝いにクイックボールを送ってくれた友達までいました。いろいろありで一人ぼっちになっちゃったけど、でも一人ぼっちじゃなかった。本当にありがたいことです。今はレンジで焼きそばを作れるダイソーグッズにわりとお世話になってます。
それから、ほんの1ヶ月前の自分からは考えられないことですが、お米もたくコツをつかんだりもしています。ヘルパーさんの援助のもと生活していく中で、緊急時やヘルパーの急なトラブルなどに見舞われたとき、とにかく食べることだけは確保できるようにしましょうという約束事は交わしていました。
だからというわけではないしけして自分の中では努力したり急いだりという気持ちはないんですが、逆に周りに「飛ばしすぎじゃない?」と心配されていたりもします。ただ今は自分の中の可能性の扉が一つずつ開いていく感覚が楽しいのは事実。
楽しみながら家事も炊事も洗濯も暮らしの知恵も学んでいけたらなって思います。もちろん、ポッドキャストや音楽、このブログといったこれまで続けていることについても無理のないペースで継続していくつもりです。まだ言えませんが動き始めているものもあります。
人それぞれに思いはあると思う。分かれ道はいついかなるときにもどこにでも現れるもので、そのどれを選ぶのかは間違いなく自分。僕はこの道を自分の責任で選びました。選んだからには後悔のないよう、そしていつかこの選んだ場所を振り返ったときに胸を張って「間違ってなんかなかった」って思えるよう歩いていきたいと思います。
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2017_05
07
(Sun)14:52

近況いろいろ

お久しぶりのエントリーです。あれから1ヶ月近く経ってずいぶん暖かくなって…っていうか軽く暑いね(笑)先月の今頃はまだ寒い寒い言ってた気がするんだけど。ゴールデンウイークも気がついたらおしまいですが皆さんいかがお過ごしでしょう?
僕はというとこの1ヶ月、とにかくいろいろなことが本当にものすごい勢いで動きました。あまりにもあらゆることがスムーズに動いているので少し怖くもあります。足元すくわれてるんじゃないかとか何かの陰謀じゃないかとか。
もちろん僕のために動いてくれている人がいる、そのことは本当にありがたいしそのおかげでここまでスムーズにいってる部分もあるのでそれは素直にありがたいんですけど、正直ちょっとだけ怖いぐらいですね。
その方いわく、「タイミングがよかったんでしょうねー」っていうことだし、最近同行援護をお願いしているガイヘルさんには「亡くなったおばあちゃんが守ってくれてるんですよ」って言っていただいたので、ありがたくそう思わせてもらうことにします。間もなく祖母の49日がきます。本当に「ありがとう」、その一言ですね。
今日はそのガイヘルさんと一緒に散発へ行ってきました。引越し前に髪の毛がもじゃもじゃうっとうしいなと思ったんで(笑)新生活前にばっさりと。この間はそのまま家出して(以下略)の状態でしたが、今日はご挨拶がてらっていう側面もありかな?
実は僕が今度引っ越して自活を始める場所というのが、今の家に引っ越してくる前に住んでいた場所からそう遠くない、2ブロックぐらい離れただけの1Kのお部屋なんです。動きやすさを考えて駅の近辺で部屋を探していたところ家賃も含め申し分ないところが見つかって。
一応アパートなんですが、その名前も、何かこれからいいことが起きそうな気がするようなそんな名前だったんで、お部屋を見せてもらってから即決しました。今月の26日に入る予定です。
まー正直な話即決したことについては、そんなにあれこれ贅沢を言ってられる立場でもそんな余裕もなかったというのも事実あるんだけど、これを逃したらなんかいろいろ逃げていきそうな気がしたのも事実で。
そんなこんなで、前のアパートにいたころ散発によく行っていた理髪店、またお世話になりますってことでチョキチョキしてもらったんですが、店長いわく僕が前住んでいたアパートも今月取り壊されるらしいって話を聞いて。
新しくマンションが建つらしいのですが、なんだかちょっとだけさびしい気持ちになりました。と同時に、アパートを借りるということはいずれこういうリスクもあるんだなーというのも憶えておかなくちゃいけないんだなーと思った次第。
帰り道には、新居となるアパートを見に行ったりもしました。歩いてみた感じだと、点字ブロックのない路地に入っていくようにはなりますが、最初きたときに比べると難しいのかなという印象はなかったです。ただもう何回か歩いて入り口確認しないと迷いそう(笑)
そんなところで、着実にいろいろと動いています。ただこれはひとえに僕が動いたからではなく、手を差し伸べてくれた人がいて僕のために動いてくれた人がいたからここまでスムーズにいっているわけで、それは絶対に忘れてはいけないし、その人たちへの感謝の気持ちは忘れてはいけないと強く思います。
その人たちに返していくために自分は何ができるのかをゆっくり歩を進めながら考えてこれから先、生きて生きたいと思ってます。今月は引越しも含めドタバタしそうですが、できるだけうつむかずいきたいですね。がんばります。
2017_04
17
(Mon)06:37

レベル38

こんなに気持ちの落ち着かない、そして考えのまとまらない誕生日はもしかしたら初めてかもしれません。ということで、なにはともあれ無事に僕DY、38歳になりました。
レベルアップなのか、それともここから0に戻るのか。いや、0なんて甘っちょろくて実はマイナス100ぐらいになるんじゃないか。それぐらいの気持ちで今日、この日を迎えました。
おとといはポッドキャストのとある特別回の収録で、比較的たくさんの人が集まって楽しく収録をすることができ、そのあともなんやかんやで夜中の1時過ぎまでいろいろ話をしてて。
その中で僕が今おかれている原状であったり、今後どうしていくかについてもそこにいた人たちそれぞれの考えを聞くことができました。夜が明けてから「夕べ、だいぶ落ち込んでしまってたみたいだけど大丈夫?」って声をかけてくれた人が何人かいて逆に心配かけて申し訳なかったなーと反省。
正直な話し、厳しい助言もあったのかもしれない。でも僕はそれを「きついなー」とか「しんどいなー」とは捉えていなくて、むしろ僕を思ってああやって言ってくれる人たちのあったかさを感じてました。だから直接的にそれで落ち込んだわけではないんですが、いろいろぬぐえないのも事実ですね。
悲しみだったり悔しさだったり歯がゆさだったり不安だったり。それは自分自身に対してももちろんだし、亡くなった祖母や母たちに対してもそうだし。悔やんだって暴れたってもう無効の世界へ召された人は帰ってはこないわけで、腹をくくるしかないのもわかっているんだけど。
原状についてちらっと書くと、今僕が住まわせてもらっている家を出ることになりそうです。この家は2年半前に亡くなったおじが残したもので、ちゃんと聞いたわけではないんですが相続人は従妹になっています。
筋から言ってもこのうちに僕がいるわけにはいかないのもわかるし、他にもいろいろありで、先週、そう直接言われたわけではないんですが簡単にいうと「出ていってほしい」と言われました。覚悟はある程度していたけれど足りなかったのかな?やっぱショックでした。
いろいろありでと書きましたが、そのいろいろのせいでおばの剣幕がものすごく、もうとにかく今すぐにでも荷物をまとめて出ていってくださいっていう勢い。おばはおばで市役所に行って、身寄りのない障害者を受け入れてくれる施設に僕を入れるつもりでいるみたいです。
僕の話などもう聞く耳持たぬといった感じ。いや、それは僕の思いこみなのかもしれない。きちんと話せばわかってもらえることなのかもしれないですが、なにを言っても自己弁護になってしまう気がして。実際「自分が楽になりたいだけでしょ」って言われたこともあるし。
僕は僕で、この間ようやく認可が通った事業所の相談員に今後のこと、住まいのことを相談しているところです。甘っちょろいかもしれないですが、今の僕には仕事も趣味も何もかもを捨ててしまう勇気はなくて。もちろん多少の犠牲や報いはつつしんで受けますが、0にすると壊れてしまいそうな自分もいて。
なので、まずは自分が生まれたこの土地で住まいを見つけて、少しずつ環境を変えていきながら自分の生き方をみつけたいと思っています。1年、2年、5年って経ってくると、もしかしたら仕事を変わっているかもしれない。県外にいるかもしれない。でも今はここを離れたくない。それが正直な気持ちです。
臆病だし甘いのかもしれませんが、今はできることをしっかり積み重ねて、今できないことを一つでもできるように時間をかけたい。生きるための自信をつけたい。そのためにいろんな人の助けを借りることにはなるだろうけど、いろんなことが怖くない、ちょろいって思えるようになるまでこの土地でがんばってみたい。
そんなことを38歳初日、考えています。やっぱり家族の中でぬくぬく育ってきたせいというか…甘いんですかねー。さっさと県外に行って0からやり直すっていうほうがさっぱりしてていいんだろうし、それが正しいのかもしれません。正直、どうすることが自分にいいのかもよくわかりません。
「自分でやりたいようにやるのが一番」という意見もあるだろうし、「もうその場所に失うものなんてないんだから別の場所でがんばってみたら」という意見もあると思う。どっちも間違っていないとも思う。もう身寄りなんていないこの場所で自分が何にこだわってここにいたいとごねてるのかもよくわからないんですが…。
なんだか取り留めなく書いてしまいましたが、ちょこっとだけ37歳を振り返って終わろうかな。とっても悲しいこともあったけど、趣味の面では大きく羽ばたけた年でした。去年ここでフルアルバムのリリースなんてことを書いてましたが…たぶん軽い気持ちで書いてるんだろうけど、気がついたら実現してるし。
そしてそれ以上にゴールドコンサートに出られたことも大きかった。浅倉さんも立ったあのステージに自分が立てたことは最高の宝物です。きっと38歳も大丈夫。でも一人じゃだいぶ心細いので、皆さん、助けてくださいね。
長々とではありますが、ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。38歳になったDYもよろしくお願いします。がんばります。
2017_03
31
(Fri)22:52

独り

今日は祖母の葬儀。37年間僕を育ててくれ、肉体的にも精神的にも一番近いところにいてくれた祖母を送ってきました。昨日は気温が20度近くまで上がり、春の陽気と思ったのもつかの間、今日は最高気温さえ10度いかないという寒い、そして雨の1日でした。
きっと祖母の涙だったのだろうと思います。昨日も書いたように、参列してくださった方が口々に祖母の人生は全うされたものだと言ってくださっていたのですが今日の雨。まだまだ祖母は死にたくなかったのではないかと思いました。
僕の誕生日や正月たんびに「大ちゃんのお嫁さんを見るまでは死にたくねーなー」と口にしていました。いついかなるとき、どんなときでも僕のことを気にかけてくれた人でした。もうすぐ38にもなろうかという男がこんなにも祖母に心配をかけて…。
生前も亡くなってからも心配をかけて。雨はお葬式や火葬が始まる頃には強くなり、何度かiPhoneのアプリが豪雨情報や大雨の情報を通知してくれてました。笑顔で逝きたかっただろうに…そこも含めてごめんなさい。
昨日書いたように、祖母の棺にはタバコを入れました。僕からの最後のプレゼントです。もうありがとうとは言ってくれなかったけれど喜んでもらえただろうか?火葬が終わった棺から少しだけタバコの煙が香った気がしました。
気のせいだったのかもしれないし気のせいではなかったのかもしれない。でも、何もかもを許された祖母がもし久しぶりの喫煙を喜んで味わってくれたのだとしたら、本当に嬉しいです。
祖母が最後に闘った癌は調べたところ、男性の喫煙者に多く喫煙との因果関係もわりとはっきりしているというようなことがいろいろな場所に書かれていました。レントゲンにも映りにくいこともあるらしく、1年前に筋力低下や脳梗塞のような症状が出始めたときにはもう手遅れだったのかもしれない。
医師にも発見できなかったものを僕が発見できるはずなんてないんだけど、仮にも人の体を預かる仕事をしている自分なのにそれに気がつけなかったのは悔しい。僕も一過性の脳虚血発作を真っ先に疑ったから。
やはり勉強あるのみだなとも思いました。そしてそのことを身をもって教えてくれて亡くなった祖母はやっぱり立派な人です…なんていうと生意気でしょうか?
母が死に、祖母も死にました。今住んでいるうちにはその前に亡くなったおじの別れた奥さん…僕にとっては義理のおばということになるんですが、彼女やその子供たちがいます。ですがそういう血筋のため、いつまでも甘えて生きていくこともできないと思っています。
ですが助けてくれる肉親はもういません。何か理不尽なことが起きても本気で怒ったり泣いたり、嬉しいことを一緒に喜んでくれる人はもう傍にはいません。だけど止まることもできない。こちらに残されたからには僕も全うしないと。
半人前の弱弱しい僕ですが、できる限り心配かけないようにゆっくりでもちゃんと歩いていきたいと思います。来月の後半ぐらいからになるとは思いますが、審査が通ればガイドヘルパーを使っての生活も始まるはずです。
「大丈夫、なんとかなる。だから安心して」などとはとても言えません。ひょっとしたらこの先、僕が死ぬまでそうは言えないかもしれない。ですが全うできるように、無効に行ったときに幸せになれたことを報告できるように、また歩きます。また逝きます。
37年間、いっぱいいっぱいごめんなさい。そしてありがとう。お疲れ様でした。
2017_03
30
(Thu)20:23

Over The Rainbow

祖母の納棺とお通夜に行ってきました。この1年ぐらいのことが全て夢だったらよかったのにと今日ほど思ったことはありませんでしたが、1ヶ月ぶりに会った祖母はもう動かないし何もしゃべってはくれませんでした。しかってもくれない。褒めてもくれない。
穏やかに、ただ眠っているように。でも特徴的だった祖母の寝息は聞こえないし、体温もなくて。本当に祖母なのか、まだ信じたくない自分がいます。そんな祖母の亡骸を前にして僕は髪をなでながら謝ることしかできませんでした。
祖母は、肺にできた癌のせいでほんの少しだけ苦しんだようですが、最後は本当に穏やかだったという話です。弔問にきてくださった方も口々に「全うしたんやな」と言っておられました。そう言っていただけたことは勝手ながら救いでした。
だけど、祖母の願いを僕は何一つかなえることができなかった。弱視程度には回復するだろうと言われていた視力も0になり、ずっと「大ちゃんのお嫁さんを見てから死にてぇなー」と言っていた祖母ですが、それも適わぬものになってしまいました。
祖母のために結婚したいと思っていたわけではないけれど、ずっと僕のことで心配をかけっぱなしだった人だから僕もそれだけはどうしても適えたいと思っていたんですけど…。いろんな意味で自分が悪いんですけどね。悔しいなー。
そんな祖母へ僕は天国にタバコをもたせてあげることにしました。本当に晩年は病気のこともありでタバコを断っていましたが、本当にこちらが心配になるぐらいタバコの大好きな人でした。僕が煙嫌いなのと本当に体調が心配だったためずっと止めろ止めろ言ってたんです。
そのたびに祖母は「わたしの唯一の趣味や。あんたは人の心配より自分の心配をしなさい」としかってきて。まーこの若い頃からの喫煙が今回の癌に繋がったかどうかは定かじゃないですが、本当に明日、最後は許してあげたいと思いました。
これぐらいしか僕にはできません。本当にごめんなさい。ただし、天国でもほどほどにね。そんなことを考えていたとき、葬儀場でオカリナ演奏によるこの曲が聞こえてきました。有線だったのかなー?

当たり前なんですがぴったりすぎて。あと、オカリナの優しい音色にも包まれるような思いでした。虹の彼方へ祖母は旅立ったんですよね。虹の橋の袂には、祖母がむかし、もう僕が生まれるか生まれないかの頃だそうですが、かわいがっていた犬がいるはずです。
名前をラスカルといいます。ラスカルには会えただろうか?先に行ってる曾祖母、母、おじには会えただろうか?今はそんなことを考えています。痛みや苦しいことがなくなった世界で…こんなダメ孫ですがどうかどうか見守っててほしいです。
明日は本当にお別れです。きちんとお礼を言って、虹の無効へ見送りたいと思います。
2017_03
29
(Wed)22:24

祖母の死

今日のお昼過ぎ、一緒に住んでいるおばから闘病中だった祖母が亡くなった事を知らされました。癌告知、余命宣告から1ヶ月。本当にあっという間でした。そして37年間、距離的にも精神的にも僕の一番近いところにいてくれた人が一番手の届かないところに行ってしまいました。
こういう言い方をしてしまうとよくないのかもしれませんが、一昨年亡くなった母よりも僕が祖母と一緒に暮らした時間は長かったのではないでしょうか。間違いなく今の僕、DYという人間を作った人です。
でもそれは僕自身の甘えでもありました。視覚障害者として生まれた自分を誰よりも守ろうとしてくれた祖母。小さい頃、年上の子供たちに目のことでいじめられたときはどこからともなく現れて「あんたたちの学校では目が見えない子がいたら容赦なくいじめてもいい、そう習ったの?」と一蹴してくれたこともあります。
なんとか僕の目を治そうと全国各地を飛び回って、東京の病院まで3ヶ月に1回、検査のために一緒に行ってくれたのも祖母。教師の体罰で左目を失ったときも一緒に泣いてくれた祖母。僕が中学に上がるとき、嬉しそうに制服姿の僕を写真に収めたのも祖母。
高校2年で右目の眼球が破裂して大出血して救急搬送されたとき、「なんで大輔だけがこんなめにあわんといけんのか」と泣きながら現れたのも祖母。母とその恋人と暮らしていたとき、どうしても馬が合わずに悩んでいた中で「うちにくるかえ?」と手を差し伸べてくれたのも祖母。
三療師の国家試験に合格したことがわかったとき、「あああああ・・・よかったなーーー」と誰よりも喜んでくれたのも祖母。社会人なり立ての頃、ガイドヘルパーを頼もうと市役所に行ったら門前払いを食らって、そのときに自分よりも激怒していた祖母。
以前勤めていた職場で少々理不尽なめにあったとき、一緒に職場までついてきてくれて上層部との話し合いに悔し涙を流してくれたのも…みんなみんなみんなみんな祖母。一番近くで一番のみかたでいてくれた人。そんな人を僕は、ひょっとしたら最後の最後に裏切って傷つけたのかもしれない。
たぶん、いなくなるべきなのは祖母じゃない。祖母はいなくなっちゃいけない。死ぬべきは僕なんだと思う。僕がいなければみんな幸せだった。誰も傷つかなかった。間違っているかもしれないけどこの数年、僕はずっとこの気持ちを抱えてきました。
育ててくれた祖母に、少しでも返したいと思ってずっとやってきました。社会人になって働き始めて、給料をもらえば自分の小遣いだけ1万ほど引いてあとは全て家に入れるとか。一度、誕生日にコートを買ったこともあったっけ。
そんなちっちゃい、本当にちっちゃいことです。別に恩を着せたいわけじゃなくて。それぐらいしか僕にはできなかった。でも僕はそのことが幸せだった。「ありがとうな」と言ってくれる祖母の声が嬉しかった。でも申し訳なくも会った。
「これだけしか渡せなくてごめん」っていう気持ちもあった。好きなことだけやってきたわけじゃない。それなりに我慢だってした。間違っているかもしれないけど、僕なりの僕にしかできない家族の守り方だった。祖母との生活を、祖母との幸せを。
だからおじや母が祖母を残して先に死んだとき、僕は許せなかった。自分は親になったことがないからわかった風なことを言うようだけど、子供に先に死なれる親の辛さは仕事の中でも何度も耳にして自分なりに受け止めてきたから。
今となってはそういう僕の考え方や祖母への依存というか甘え?これが本当に僕のためだったのか、祖母のためだったのか。確かめる術はありませんし、最後の最後に…ここには書けないのですが14年ぐらい前の過ちというのがあって、そのことでいろいろ。
なんだか取り留めなく書いてしまいました、ごめんなさい。もう祖母はおじや母、曾祖母には会えたでしょうか?結局、左記に記した誰一人、僕は直接死に目に立ち会っていないんですよねー。そこも含めて最低だな、おれ。
自分の人生で本当に一番近いところにいてくれた人がいなくなったこの事実。飲み込まなきゃいけないんだろうけど、ちょっと今は無理みたいです。確かに悲しいんだけど、でも悲しむことすら僕には許されないような気さえしています。
頭の中がぐちゃぐちゃなので、整理しようと思って書き始めたんですが、ぐちゃぐちゃなまま出す形になってしまって申し訳ありませんでした。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
2017_03
20
(Mon)10:59

あれから1ヶ月と火事

1ヶ月ぶりのエントリーです、皆さんこんにちは。ここしか見てない人(まーいないかな)のために一言だけ、なんとか生きていますよ。心配くださっている方、本当にありがとうございます。そしてごめんなさい。
自暴自棄みたいになって本当にいなくなろうとして警察のお世話にもなったりして、あれから1ヶ月が経ちます。相変わらず家族との冷戦状態は続いています。食事は作ってくれますし行動については今までと変わらず手を差し伸べてくれていて、その点に関しては素直に感謝しています。
でも、会話がないのは正直しんどいです。おはよう、いってらっしゃい、お帰り…そんな簡単な言葉すら交わさなくなってのこの1ヶ月。確かに僕は許されないことをしたしその報いは受けるべきです。行く場所がない以上ここにいるしかないのも事実。
だから黙って無言の制裁を僕は受け続けるべきなのだと思うことにしてはいるのですが…きついとかしんどいと思ってしまう自分もいて。時々朝、起きれないぐらい体がきついときがあります。体中が重いし肩や背中もパンパンで。どうしたらいいのかなー?
ちらほらとSNSには書き込んでいますが、自立に向けて動いていたりもします。ガイドヘルパーを申し込んで、審査が通れば来月の終わりぐらいから利用できるのではないかと思っていますが、あと1ヶ月以上…がんばらなきゃなー。
そんな今日この頃なのですが、まさに今この瞬間の話を今日は書いてみようかと思いますが、自宅の近くで火災が起きています。朝10時を回ってすぐぐらいでしょうか、たくさんの消防車が我が家の近くにきては次々と止まって、一瞬夢なのかと思いましたけど。
よく最近、自分の家や自分が暮らしている場所の近所が燃える夢を見るんでね(苦笑)でもどうやら夢ではなく現実みたいで、消防の人が声を掛け合ったり叫んだり拡声器で何かを言ったりっていう声が聞こえます。現実ですね。
自宅にはこの時間、誰もいないんで正直不安で仕方なかったです。iPhoneを声のする方向にかざして物体認識アプリを使って写真を撮影しても、ポイントを外してるみたいでどこがどう燃えてるのかまではわかりませんでした。
その方法がうまくいけば、家から出たほうがいいのか、家にいたほうがいいのかっていう判断材料になるかなと思ったんですが失敗。とりあえず僕の家の前に人だかりができたことで、たぶんここは大丈夫だろうという判断をしましたが…。
こういうとき目が見えないって不安ですね。怖いけど、せめてパチパチっていう火の音や熱が伝わってくるような状況だったら判断できるんだけど。自立するということ、一人で立って生きるっていうことは本当に難しいんだなと思ったりして。
ひとまず、今これを書いている時間、家の前の人だかりもいなくなって消防の人の声もだんだん聞こえなくなっているので鎮火の方向に向かっているのかな。わかんないけどね。まだメラメラ燃えてて手がつけられない状態でってこともあるかしら。
荷物はまとめていつでも逃げられる状態にはしてありますが、次から次、いろいろですね。なんでこういうことになっちゃったんだろうなー。とにもかくにももうちょっと気を張ってたいなとは思います。
本当はこんな風にブログなんて書いてる場合じゃないのかもしれませんけどね。なんかやってないと不安なもんで書いてみました。
2017_02
21
(Tue)00:04

今日も考える

昨日のエントリー、よくよく読み返してみたら矛盾がありますね。好きなことだけ選んできた自分がいけないのかって考えているわりに、仕事は休みたい癖して音楽とポッドキャストは続けたいだなんて。それこそ言ってることとやろうとしてることがおかしい。素直なままに書くとこういうことになります、情けない。
みんなそう、苦しい琴だってやりたくないことだってそれぞれにあって、でもそこから逃げるわけにはいかない。みんなちゃんと向き合ったりそれなりに流したりしながら生きてる。僕はやっぱり逃げることしか考えていない。一つだけ弁解させていただくと、仕事を0の状態にしたいわけではありません。
ただ遊んで暮らしたいだなんてそんなことは思っていなくて、今好きだと思えるもの、前を向いて打ち込みたいと思えるものがあるうちに少しだけ苦しいことを休んで、苦しいことを続けるための力を蓄えたいという意味で書きました。そこが伝わっていないのだとしたら僕の言葉が足りませんでした。
仕事の内容そのものについては僕は生きがいをもって…いましたと書いたほうが正確なのかな?今はいろんなしがらみと職場の雰囲気に飲まれて、自分が本当にお客さんたちに提供したいサービス、届けたい気持ちや体温を与えられない状態になっていて、これもまた僕の伝える力の不足なんでしょう。
それがとてつもなく歯がゆくて悔しいんですが、スタッフもそれぞれにそれぞれの仕事でいっぱいいっぱいなのが手に取るようにわかるし、それに伴ってイライラしている人が多いことも知ってる。そこへきてお客さんから「マッサージ、頼んであるんやけどいつ呼ばれるんか」みたいにどやされれば矛先をこちらに向けたくなるのもわからんじゃない。
サービスの提供が不十分に鳴れば苦情が増えるのは至極当然の話で、時には診に覚えのないことで叱責されることもあって、お客さんに少しでも診も心も軽くなってもらいたいと思う僕の気持ちとスタッフの不足による職場全体の重い空気がギスギスになって…なんだかもう、正直よくわからなくなってきました。
最近僕と一緒に仕事をするようになったスタッフさんは僕のこと、嫌いな人多いんだろうね。必要以上の言葉を発しないし笑わないし暗いし。ポッドキャストやってる自分とは間逆ですよ。でもそれで職場全体の空気が和めばいいんじゃないかなって。お客さんの要望が絶対、声を発する人の発言は絶対。
なかなかご自身からは「わたし、まだなんでしょうか?」って言えないお客さんや「先生、いつも忙しそうだから希望してもお疲れになるでしょう」なんて気を遣ってマッサージを受けない人がいることだって知ってる。でもそれを言ってもスタッフをイライラさせるだけなんで。「ただでさえ忙しいのに仕事増やさないで」みたいな。
だから嫌われ役でいいかなって思って3年ぐらいは我慢してきたけど、そろそろ仕事については限界を感じてきました。かといって止めてしまえば生活ができない。昨日の件とあわせてですが、なんだか生きていく自信がどんどん消えていく。生きにくい世の中なんて言われてるけど、この状況も僕が招いたことなのかなー?
考え方次第でこの世の中、どうにでもなるのかもしれない。変えられないのは自分のせい。逃げだと思われても仕方ないですけど、本当に疲れてしまいました。少し休みたいです。でも…何度も言いますがそういうわけにはいかないんです。がんばらないと。僕ががんばらないと。そのためにはちょっとでいい、力がほしいな。
今日もグチグチとしたエントリーで申し訳ありません。明日も…というかもう明けて今日か。がんばります。今日は眠れるだろうか?
2017_02
20
(Mon)01:00

考える

去年、本当に久しぶりに僕に彼女と呼べる人ができました。薄っぺらく聞こえてしまうかもしれませんが、僕は彼女のことを本当に愛していました。本当に真剣に心から。僕ももう37です。あとがない…ことはないのかもしれない。でもそれなりにいい年です。
晩婚化だの独身貴族だのいい言葉はいっぱいありますが、自分の周りの同年代を見てみると結婚、一児・二児のお父さんという人もたくさんいます。「まだ若いんだから」は言い訳にならないと僕は思っています。そんなあせりもなかったわけじゃない。
でもそれ以上にずっとずっと一緒にいたいと思ったし、彼女を支えていきたいと思った。「ああ、この人だー」って。でもそんな彼女、突然僕の前からいなくなってしまいました。知らず知らずの間に僕のこの気持ちが重荷になってしまったんでしょうか?
それまで喧嘩らしい喧嘩もしていないし本当に順調だと僕は思っていたのに…。人の気持ちがつかめなかった僕のせいなんだとは思います。はっきりと結婚を意識してあせってたわけではないけど、ゆっくりゆっくりそこへ積み重ねていけたらとは思っていたので。
そんなことをやっているさなか、祖母が倒れ入退院を繰り返すようになり、ついに先日余命宣告まで受けました。肺癌だそうです。また一人、僕にとって大切な肉親がいなくなろうとしてる。
どうしてみんな、僕が大切な人たちは僕の前から突然いなくなるんだろう?母もおじも彼女も、みんなみんな大好きなのに。そりゃ確かに母との親子仲はけしてよくなかった。おじを許せない自分もいる。
でもいい思い出だってそれなりにあるんだ。ゴールデンウイークに母、おじ、祖母らと言った遊園地。母が二日酔いで寝ぼけて作った砂糖味のおにぎり。おじが教えてくれたテレビゲームのおもしろさ。
あの頃はみんな楽しくやってた。幸せだった。何がどこからおかしくなったんだろう?どうして?僕があの日、算数の宿題をちゃんとしていって、担任教師に左目を失明させられたりしなかったら…?
そもそも僕が生まれてきたことそのものが間違いだったのか?そんなことを祖母の余命宣告があってからのここ数日、ずっとずっと考えています。考えてもわからないけどずっとずっとずっとただずっと考えてます。
僕が多くを望んだからいけないのか?わがまま砲台してきたからか?たまに我慢することもあったかもしれない。でも楽なこと、好きなことばかりを気がついたら選んで。自分じゃそんなつもりないけど、わかってないだけ?
だから彼女もいなくなったの?祖母もいなくなっちゃうの?だったら悪いのは僕だ。ここには書けませんが14年ほど前、僕は大変な過ちを犯しました。弁解したって許されることじゃない。自分の寂しさと欲望に勝てないまま相手に深い深い傷を作った。
だから悪いのは僕。他の誰でもない、僕。それで昨日、一人でいなくなろうとしました。夕方、タクシーを呼んで、むかし行きつけだった理髪店にいきました。家族に行く先を聞かれたら散発とでも言っていなくなろうと思って。でもその時間、家族は家にいませんでしたけど。
散発をしてそこの店長に概要程度の近況を話しましたけど、家出をしてきたとは言えなかった。「家に帰りたくない。あの家にいる資格はない」ぐらいのことは言ったかもしれない。でもそんなことでドラマみたいに話が運ぶほど世の中は甘くないことも知ってる。だから一度は帰ろうとしました。
だけど、少しだけ今の家に引っ越す前のアパートに行ってみたくなって駅から逆の方向に歩いて。全てが懐かしかった。ここを歩いてバス通勤していたこと、たまに東京や福岡、大阪に行くために駅に向かったこと。もっともっと前、社会人なり立ての頃の自分、アパートの隣のローソン。
いろいろ思い出した。あの頃は一人でできることも家族に手を貸してもらうことも今より少しは少なかったんだろうに、今じゃ典型的なだめな視覚障害者になってしまってる。だからか?だからみんな愛想着かしていなくなっちゃうのか?だとしたらやっぱり自分は消えたほうがいいんじゃないか?
そう思ったら帰るのが急に怖くなった。家族に出て行けって言われているような感じがずっと耳の奥でしてた。寒いのと怖いのでずっと震えてた。震えながらスマホでtwitterやFBの友達に「今夜、誰か泊めて」なんて叫んでた。消えたいくせに怖くなって叫んでた。でも返事なんてこない。
そりゃそうです。みんなそれぞれに生活があってそれぞれに生きている。むちゃくちゃな話です。だからやっぱりこのまま消えようと思っていたんですが、生まれて初めて警察のお世話になって、僕は今の自宅にいます。まだ生きています。消えられずにいます。そしてまた考えてます。
あのとき、もっと遠くに行ってればよかったのかとか、電車に乗って違う県に適当に行こうかとか。お金はそこそこ持ってたしもっと何かいい方法あったのかもしれないし、さっさとどこかの川にでも飛び込めばよかったのかもしれない。でも直前でやっぱりできなかったんだろうけど。
一人ぼっちになるの、怖いです。一人で生きてるわけじゃないのはわかっています。家族だけじゃない、自分には大切な友達もたくさんいます。ポッドキャストなんかを通じてたくさんの人と出会いました。大好きな人たち。でも、自分が知らない間にその人たちをズタズタにしてるのだとしたら。
みんないつかさっと「実はおまえのそういうとこ、前から大嫌いだった」とか言われていなくなったりしたら。怖い。僕の大切は、僕の大好きは人を不幸にしてる。だとしたら怖い。やっぱり消えたい。でもこれを書き残しているということは…やっぱり消えたくない。ずっと考えています。
少しだけわがままを言いたいです。それが許されない世の中であり状況であるのもわかっていますが、しばらく音楽とポッドキャスト以外のいろいろをお休みしたい。音楽とポッドキャストはやりたい。まだやりたいと思えるから。思わせてくれる人たちがいるから。
それに、唯一がんばらずにがんばれることだと思ってる。これすらできなくなったら僕は本当に消えなくてはいけないんだと思う。少しだけ、ほんの少しだけでいい。半年ぐらいでもいい。ちょっと休みたいです。でもそれはできない。いい大人がそれはできない。がんばらなきゃ。
ずっと考えています。今夜も考えます。がんばります。最後に、twitterやFACEBOOK、Lineなんかで心配して声をかけてくださった人たち、ありがとうございました。そして心配かけてごめんなさい。自殺だけはしません。誓います。ごめんなさい。
2017_02
05
(Sun)06:31

お腹のルーティーン

2月になりました。先月は総合的に見ると気温が高い日が多く、気象庁だかウェザーマップだか忘れちゃいましたが見解としてはやはり今シーズンは暖冬だそうで。とはいえ先月末は寒かったですね。Apple watchで確認する気温が二桁いった日が何日あったでしょうか?
そのせいなのかなんなのかDYさん、お腹を壊して1週間ほど寝込んでいました。正確には、一番酷かったのが先週月曜から水曜ぐらいまで。木曜日からは少し気分も落ち着いてゴソゴソやっているんですけど、なにぶん力が入らないので仕事は1週間休んでおります。
こうして考えるとマッサージ師の仕事、自分では特にここ最近、慣れもあってあまり意識したことなかったんですけど、力のいる仕事なんだなって(笑)本当に寝、お腹壊すと力が入らないんですよね。無理に血から入れるとすぐ気持ち悪くなって上ってきちゃう。
だいたい2年周忌でお腹の風邪を引いてるここ数年のような気がしているんですが、今回は下痢もないし、下痢ならばまだ僕的には耐えられそうなもんなんですけど、今回のはずーーっと吐き気だけが続いていて本当にしんどかった。もう1週間ぐらいは無理はできないかなーなんて。
寝込んでいた数日のお話は今日行進のポッドキャスト、PULVERIZEBEAT第459回にてしゃべっていますのでもしよろしければ。金曜日に収録したので声だけはそこそこ元気よ。
この収録後のお話をここでは書きますが…まーざっくりいうと昨日のお話ね。だいぶ気分もよくなってきまして、そんなに無理をしなければ動き回るのも苦ではなくなりました。食事も、ゆっくりであれば気持ち悪くならない程度にはなってます。
ただ食後、食べ物が胃で消化されるタイミングなのかな?油断すると気持ち悪くなっちゃうので、そのときは横になってやり過ごしてる感じ。吐いたほうがいいのかもしれないんですが実はDYさん、嘔吐恐怖症みたいなものも持ち合わせていて厄介な性格なのですねーこれが。
水曜日ぐらいまではお風呂に入っても、何の刺激だかよくわかんないんですが上ってきちゃうので怖かったんですけど、金曜日ぐらいからこちらもだいぶましになってきました。昨日は「口の中が気持ち悪いなー」なんて思って、風呂のついでに歯を磨こうとしたもののこれが大失敗で、上ってきちゃって途中でおしまい。
そんな昨日の風呂には生まれて初めて、腕時計というものをして入りました。Apple watchの液晶がちょっと汚れてたんで入るついでにきれいきれいしようと思ったわけなのですが、思ってたほどの感動はなかったもののいい経験になったというかね。「へー、こんな感じなんだ」みたいなね(笑)
収録語の体調についてはそんなもんです。具合が回復してきて気がついたこととして、やはりものすごい肉体的にも精神的にも疲れてるんだなと思いました。それはこの胃腸風邪のせいもあるんだろうし、生活の中の諸々もあるんだろうし。いろんな意味で余裕さえあればしばらくゆっくりしたいもんですが…。
ということで、さすがに明日からは仕事に出られるようにしたいなと思っています。この体調不良のせいでやりかけていたもの、作りかけているものがぜんぜん進まないという状態になっているのですが、徐々にチャージしながら進めていきたいと思いますので皆様、よろしくお願いしますね。ほんとお腹の風邪、なめんなよ(笑)