2017_05
07
(Sun)14:52

近況いろいろ

お久しぶりのエントリーです。あれから1ヶ月近く経ってずいぶん暖かくなって…っていうか軽く暑いね(笑)先月の今頃はまだ寒い寒い言ってた気がするんだけど。ゴールデンウイークも気がついたらおしまいですが皆さんいかがお過ごしでしょう?
僕はというとこの1ヶ月、とにかくいろいろなことが本当にものすごい勢いで動きました。あまりにもあらゆることがスムーズに動いているので少し怖くもあります。足元すくわれてるんじゃないかとか何かの陰謀じゃないかとか。
もちろん僕のために動いてくれている人がいる、そのことは本当にありがたいしそのおかげでここまでスムーズにいってる部分もあるのでそれは素直にありがたいんですけど、正直ちょっとだけ怖いぐらいですね。
その方いわく、「タイミングがよかったんでしょうねー」っていうことだし、最近同行援護をお願いしているガイヘルさんには「亡くなったおばあちゃんが守ってくれてるんですよ」って言っていただいたので、ありがたくそう思わせてもらうことにします。間もなく祖母の49日がきます。本当に「ありがとう」、その一言ですね。
今日はそのガイヘルさんと一緒に散発へ行ってきました。引越し前に髪の毛がもじゃもじゃうっとうしいなと思ったんで(笑)新生活前にばっさりと。この間はそのまま家出して(以下略)の状態でしたが、今日はご挨拶がてらっていう側面もありかな?
実は僕が今度引っ越して自活を始める場所というのが、今の家に引っ越してくる前に住んでいた場所からそう遠くない、2ブロックぐらい離れただけの1Kのお部屋なんです。動きやすさを考えて駅の近辺で部屋を探していたところ家賃も含め申し分ないところが見つかって。
一応アパートなんですが、その名前も、何かこれからいいことが起きそうな気がするようなそんな名前だったんで、お部屋を見せてもらってから即決しました。今月の26日に入る予定です。
まー正直な話即決したことについては、そんなにあれこれ贅沢を言ってられる立場でもそんな余裕もなかったというのも事実あるんだけど、これを逃したらなんかいろいろ逃げていきそうな気がしたのも事実で。
そんなこんなで、前のアパートにいたころ散発によく行っていた理髪店、またお世話になりますってことでチョキチョキしてもらったんですが、店長いわく僕が前住んでいたアパートも今月取り壊されるらしいって話を聞いて。
新しくマンションが建つらしいのですが、なんだかちょっとだけさびしい気持ちになりました。と同時に、アパートを借りるということはいずれこういうリスクもあるんだなーというのも憶えておかなくちゃいけないんだなーと思った次第。
帰り道には、新居となるアパートを見に行ったりもしました。歩いてみた感じだと、点字ブロックのない路地に入っていくようにはなりますが、最初きたときに比べると難しいのかなという印象はなかったです。ただもう何回か歩いて入り口確認しないと迷いそう(笑)
そんなところで、着実にいろいろと動いています。ただこれはひとえに僕が動いたからではなく、手を差し伸べてくれた人がいて僕のために動いてくれた人がいたからここまでスムーズにいっているわけで、それは絶対に忘れてはいけないし、その人たちへの感謝の気持ちは忘れてはいけないと強く思います。
その人たちに返していくために自分は何ができるのかをゆっくり歩を進めながら考えてこれから先、生きて生きたいと思ってます。今月は引越しも含めドタバタしそうですが、できるだけうつむかずいきたいですね。がんばります。
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2017_04
17
(Mon)06:37

レベル38

こんなに気持ちの落ち着かない、そして考えのまとまらない誕生日はもしかしたら初めてかもしれません。ということで、なにはともあれ無事に僕DY、38歳になりました。
レベルアップなのか、それともここから0に戻るのか。いや、0なんて甘っちょろくて実はマイナス100ぐらいになるんじゃないか。それぐらいの気持ちで今日、この日を迎えました。
おとといはポッドキャストのとある特別回の収録で、比較的たくさんの人が集まって楽しく収録をすることができ、そのあともなんやかんやで夜中の1時過ぎまでいろいろ話をしてて。
その中で僕が今おかれている原状であったり、今後どうしていくかについてもそこにいた人たちそれぞれの考えを聞くことができました。夜が明けてから「夕べ、だいぶ落ち込んでしまってたみたいだけど大丈夫?」って声をかけてくれた人が何人かいて逆に心配かけて申し訳なかったなーと反省。
正直な話し、厳しい助言もあったのかもしれない。でも僕はそれを「きついなー」とか「しんどいなー」とは捉えていなくて、むしろ僕を思ってああやって言ってくれる人たちのあったかさを感じてました。だから直接的にそれで落ち込んだわけではないんですが、いろいろぬぐえないのも事実ですね。
悲しみだったり悔しさだったり歯がゆさだったり不安だったり。それは自分自身に対してももちろんだし、亡くなった祖母や母たちに対してもそうだし。悔やんだって暴れたってもう無効の世界へ召された人は帰ってはこないわけで、腹をくくるしかないのもわかっているんだけど。
原状についてちらっと書くと、今僕が住まわせてもらっている家を出ることになりそうです。この家は2年半前に亡くなったおじが残したもので、ちゃんと聞いたわけではないんですが相続人は従妹になっています。
筋から言ってもこのうちに僕がいるわけにはいかないのもわかるし、他にもいろいろありで、先週、そう直接言われたわけではないんですが簡単にいうと「出ていってほしい」と言われました。覚悟はある程度していたけれど足りなかったのかな?やっぱショックでした。
いろいろありでと書きましたが、そのいろいろのせいでおばの剣幕がものすごく、もうとにかく今すぐにでも荷物をまとめて出ていってくださいっていう勢い。おばはおばで市役所に行って、身寄りのない障害者を受け入れてくれる施設に僕を入れるつもりでいるみたいです。
僕の話などもう聞く耳持たぬといった感じ。いや、それは僕の思いこみなのかもしれない。きちんと話せばわかってもらえることなのかもしれないですが、なにを言っても自己弁護になってしまう気がして。実際「自分が楽になりたいだけでしょ」って言われたこともあるし。
僕は僕で、この間ようやく認可が通った事業所の相談員に今後のこと、住まいのことを相談しているところです。甘っちょろいかもしれないですが、今の僕には仕事も趣味も何もかもを捨ててしまう勇気はなくて。もちろん多少の犠牲や報いはつつしんで受けますが、0にすると壊れてしまいそうな自分もいて。
なので、まずは自分が生まれたこの土地で住まいを見つけて、少しずつ環境を変えていきながら自分の生き方をみつけたいと思っています。1年、2年、5年って経ってくると、もしかしたら仕事を変わっているかもしれない。県外にいるかもしれない。でも今はここを離れたくない。それが正直な気持ちです。
臆病だし甘いのかもしれませんが、今はできることをしっかり積み重ねて、今できないことを一つでもできるように時間をかけたい。生きるための自信をつけたい。そのためにいろんな人の助けを借りることにはなるだろうけど、いろんなことが怖くない、ちょろいって思えるようになるまでこの土地でがんばってみたい。
そんなことを38歳初日、考えています。やっぱり家族の中でぬくぬく育ってきたせいというか…甘いんですかねー。さっさと県外に行って0からやり直すっていうほうがさっぱりしてていいんだろうし、それが正しいのかもしれません。正直、どうすることが自分にいいのかもよくわかりません。
「自分でやりたいようにやるのが一番」という意見もあるだろうし、「もうその場所に失うものなんてないんだから別の場所でがんばってみたら」という意見もあると思う。どっちも間違っていないとも思う。もう身寄りなんていないこの場所で自分が何にこだわってここにいたいとごねてるのかもよくわからないんですが…。
なんだか取り留めなく書いてしまいましたが、ちょこっとだけ37歳を振り返って終わろうかな。とっても悲しいこともあったけど、趣味の面では大きく羽ばたけた年でした。去年ここでフルアルバムのリリースなんてことを書いてましたが…たぶん軽い気持ちで書いてるんだろうけど、気がついたら実現してるし。
そしてそれ以上にゴールドコンサートに出られたことも大きかった。浅倉さんも立ったあのステージに自分が立てたことは最高の宝物です。きっと38歳も大丈夫。でも一人じゃだいぶ心細いので、皆さん、助けてくださいね。
長々とではありますが、ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。38歳になったDYもよろしくお願いします。がんばります。
2017_03
31
(Fri)22:52

独り

今日は祖母の葬儀。37年間僕を育ててくれ、肉体的にも精神的にも一番近いところにいてくれた祖母を送ってきました。昨日は気温が20度近くまで上がり、春の陽気と思ったのもつかの間、今日は最高気温さえ10度いかないという寒い、そして雨の1日でした。
きっと祖母の涙だったのだろうと思います。昨日も書いたように、参列してくださった方が口々に祖母の人生は全うされたものだと言ってくださっていたのですが今日の雨。まだまだ祖母は死にたくなかったのではないかと思いました。
僕の誕生日や正月たんびに「大ちゃんのお嫁さんを見るまでは死にたくねーなー」と口にしていました。いついかなるとき、どんなときでも僕のことを気にかけてくれた人でした。もうすぐ38にもなろうかという男がこんなにも祖母に心配をかけて…。
生前も亡くなってからも心配をかけて。雨はお葬式や火葬が始まる頃には強くなり、何度かiPhoneのアプリが豪雨情報や大雨の情報を通知してくれてました。笑顔で逝きたかっただろうに…そこも含めてごめんなさい。
昨日書いたように、祖母の棺にはタバコを入れました。僕からの最後のプレゼントです。もうありがとうとは言ってくれなかったけれど喜んでもらえただろうか?火葬が終わった棺から少しだけタバコの煙が香った気がしました。
気のせいだったのかもしれないし気のせいではなかったのかもしれない。でも、何もかもを許された祖母がもし久しぶりの喫煙を喜んで味わってくれたのだとしたら、本当に嬉しいです。
祖母が最後に闘った癌は調べたところ、男性の喫煙者に多く喫煙との因果関係もわりとはっきりしているというようなことがいろいろな場所に書かれていました。レントゲンにも映りにくいこともあるらしく、1年前に筋力低下や脳梗塞のような症状が出始めたときにはもう手遅れだったのかもしれない。
医師にも発見できなかったものを僕が発見できるはずなんてないんだけど、仮にも人の体を預かる仕事をしている自分なのにそれに気がつけなかったのは悔しい。僕も一過性の脳虚血発作を真っ先に疑ったから。
やはり勉強あるのみだなとも思いました。そしてそのことを身をもって教えてくれて亡くなった祖母はやっぱり立派な人です…なんていうと生意気でしょうか?
母が死に、祖母も死にました。今住んでいるうちにはその前に亡くなったおじの別れた奥さん…僕にとっては義理のおばということになるんですが、彼女やその子供たちがいます。ですがそういう血筋のため、いつまでも甘えて生きていくこともできないと思っています。
ですが助けてくれる肉親はもういません。何か理不尽なことが起きても本気で怒ったり泣いたり、嬉しいことを一緒に喜んでくれる人はもう傍にはいません。だけど止まることもできない。こちらに残されたからには僕も全うしないと。
半人前の弱弱しい僕ですが、できる限り心配かけないようにゆっくりでもちゃんと歩いていきたいと思います。来月の後半ぐらいからになるとは思いますが、審査が通ればガイドヘルパーを使っての生活も始まるはずです。
「大丈夫、なんとかなる。だから安心して」などとはとても言えません。ひょっとしたらこの先、僕が死ぬまでそうは言えないかもしれない。ですが全うできるように、無効に行ったときに幸せになれたことを報告できるように、また歩きます。また逝きます。
37年間、いっぱいいっぱいごめんなさい。そしてありがとう。お疲れ様でした。
2017_03
30
(Thu)20:23

Over The Rainbow

祖母の納棺とお通夜に行ってきました。この1年ぐらいのことが全て夢だったらよかったのにと今日ほど思ったことはありませんでしたが、1ヶ月ぶりに会った祖母はもう動かないし何もしゃべってはくれませんでした。しかってもくれない。褒めてもくれない。
穏やかに、ただ眠っているように。でも特徴的だった祖母の寝息は聞こえないし、体温もなくて。本当に祖母なのか、まだ信じたくない自分がいます。そんな祖母の亡骸を前にして僕は髪をなでながら謝ることしかできませんでした。
祖母は、肺にできた癌のせいでほんの少しだけ苦しんだようですが、最後は本当に穏やかだったという話です。弔問にきてくださった方も口々に「全うしたんやな」と言っておられました。そう言っていただけたことは勝手ながら救いでした。
だけど、祖母の願いを僕は何一つかなえることができなかった。弱視程度には回復するだろうと言われていた視力も0になり、ずっと「大ちゃんのお嫁さんを見てから死にてぇなー」と言っていた祖母ですが、それも適わぬものになってしまいました。
祖母のために結婚したいと思っていたわけではないけれど、ずっと僕のことで心配をかけっぱなしだった人だから僕もそれだけはどうしても適えたいと思っていたんですけど…。いろんな意味で自分が悪いんですけどね。悔しいなー。
そんな祖母へ僕は天国にタバコをもたせてあげることにしました。本当に晩年は病気のこともありでタバコを断っていましたが、本当にこちらが心配になるぐらいタバコの大好きな人でした。僕が煙嫌いなのと本当に体調が心配だったためずっと止めろ止めろ言ってたんです。
そのたびに祖母は「わたしの唯一の趣味や。あんたは人の心配より自分の心配をしなさい」としかってきて。まーこの若い頃からの喫煙が今回の癌に繋がったかどうかは定かじゃないですが、本当に明日、最後は許してあげたいと思いました。
これぐらいしか僕にはできません。本当にごめんなさい。ただし、天国でもほどほどにね。そんなことを考えていたとき、葬儀場でオカリナ演奏によるこの曲が聞こえてきました。有線だったのかなー?

当たり前なんですがぴったりすぎて。あと、オカリナの優しい音色にも包まれるような思いでした。虹の彼方へ祖母は旅立ったんですよね。虹の橋の袂には、祖母がむかし、もう僕が生まれるか生まれないかの頃だそうですが、かわいがっていた犬がいるはずです。
名前をラスカルといいます。ラスカルには会えただろうか?先に行ってる曾祖母、母、おじには会えただろうか?今はそんなことを考えています。痛みや苦しいことがなくなった世界で…こんなダメ孫ですがどうかどうか見守っててほしいです。
明日は本当にお別れです。きちんとお礼を言って、虹の無効へ見送りたいと思います。
2017_03
29
(Wed)22:24

祖母の死

今日のお昼過ぎ、一緒に住んでいるおばから闘病中だった祖母が亡くなった事を知らされました。癌告知、余命宣告から1ヶ月。本当にあっという間でした。そして37年間、距離的にも精神的にも僕の一番近いところにいてくれた人が一番手の届かないところに行ってしまいました。
こういう言い方をしてしまうとよくないのかもしれませんが、一昨年亡くなった母よりも僕が祖母と一緒に暮らした時間は長かったのではないでしょうか。間違いなく今の僕、DYという人間を作った人です。
でもそれは僕自身の甘えでもありました。視覚障害者として生まれた自分を誰よりも守ろうとしてくれた祖母。小さい頃、年上の子供たちに目のことでいじめられたときはどこからともなく現れて「あんたたちの学校では目が見えない子がいたら容赦なくいじめてもいい、そう習ったの?」と一蹴してくれたこともあります。
なんとか僕の目を治そうと全国各地を飛び回って、東京の病院まで3ヶ月に1回、検査のために一緒に行ってくれたのも祖母。教師の体罰で左目を失ったときも一緒に泣いてくれた祖母。僕が中学に上がるとき、嬉しそうに制服姿の僕を写真に収めたのも祖母。
高校2年で右目の眼球が破裂して大出血して救急搬送されたとき、「なんで大輔だけがこんなめにあわんといけんのか」と泣きながら現れたのも祖母。母とその恋人と暮らしていたとき、どうしても馬が合わずに悩んでいた中で「うちにくるかえ?」と手を差し伸べてくれたのも祖母。
三療師の国家試験に合格したことがわかったとき、「あああああ・・・よかったなーーー」と誰よりも喜んでくれたのも祖母。社会人なり立ての頃、ガイドヘルパーを頼もうと市役所に行ったら門前払いを食らって、そのときに自分よりも激怒していた祖母。
以前勤めていた職場で少々理不尽なめにあったとき、一緒に職場までついてきてくれて上層部との話し合いに悔し涙を流してくれたのも…みんなみんなみんなみんな祖母。一番近くで一番のみかたでいてくれた人。そんな人を僕は、ひょっとしたら最後の最後に裏切って傷つけたのかもしれない。
たぶん、いなくなるべきなのは祖母じゃない。祖母はいなくなっちゃいけない。死ぬべきは僕なんだと思う。僕がいなければみんな幸せだった。誰も傷つかなかった。間違っているかもしれないけどこの数年、僕はずっとこの気持ちを抱えてきました。
育ててくれた祖母に、少しでも返したいと思ってずっとやってきました。社会人になって働き始めて、給料をもらえば自分の小遣いだけ1万ほど引いてあとは全て家に入れるとか。一度、誕生日にコートを買ったこともあったっけ。
そんなちっちゃい、本当にちっちゃいことです。別に恩を着せたいわけじゃなくて。それぐらいしか僕にはできなかった。でも僕はそのことが幸せだった。「ありがとうな」と言ってくれる祖母の声が嬉しかった。でも申し訳なくも会った。
「これだけしか渡せなくてごめん」っていう気持ちもあった。好きなことだけやってきたわけじゃない。それなりに我慢だってした。間違っているかもしれないけど、僕なりの僕にしかできない家族の守り方だった。祖母との生活を、祖母との幸せを。
だからおじや母が祖母を残して先に死んだとき、僕は許せなかった。自分は親になったことがないからわかった風なことを言うようだけど、子供に先に死なれる親の辛さは仕事の中でも何度も耳にして自分なりに受け止めてきたから。
今となってはそういう僕の考え方や祖母への依存というか甘え?これが本当に僕のためだったのか、祖母のためだったのか。確かめる術はありませんし、最後の最後に…ここには書けないのですが14年ぐらい前の過ちというのがあって、そのことでいろいろ。
なんだか取り留めなく書いてしまいました、ごめんなさい。もう祖母はおじや母、曾祖母には会えたでしょうか?結局、左記に記した誰一人、僕は直接死に目に立ち会っていないんですよねー。そこも含めて最低だな、おれ。
自分の人生で本当に一番近いところにいてくれた人がいなくなったこの事実。飲み込まなきゃいけないんだろうけど、ちょっと今は無理みたいです。確かに悲しいんだけど、でも悲しむことすら僕には許されないような気さえしています。
頭の中がぐちゃぐちゃなので、整理しようと思って書き始めたんですが、ぐちゃぐちゃなまま出す形になってしまって申し訳ありませんでした。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
2017_03
20
(Mon)10:59

あれから1ヶ月と火事

1ヶ月ぶりのエントリーです、皆さんこんにちは。ここしか見てない人(まーいないかな)のために一言だけ、なんとか生きていますよ。心配くださっている方、本当にありがとうございます。そしてごめんなさい。
自暴自棄みたいになって本当にいなくなろうとして警察のお世話にもなったりして、あれから1ヶ月が経ちます。相変わらず家族との冷戦状態は続いています。食事は作ってくれますし行動については今までと変わらず手を差し伸べてくれていて、その点に関しては素直に感謝しています。
でも、会話がないのは正直しんどいです。おはよう、いってらっしゃい、お帰り…そんな簡単な言葉すら交わさなくなってのこの1ヶ月。確かに僕は許されないことをしたしその報いは受けるべきです。行く場所がない以上ここにいるしかないのも事実。
だから黙って無言の制裁を僕は受け続けるべきなのだと思うことにしてはいるのですが…きついとかしんどいと思ってしまう自分もいて。時々朝、起きれないぐらい体がきついときがあります。体中が重いし肩や背中もパンパンで。どうしたらいいのかなー?
ちらほらとSNSには書き込んでいますが、自立に向けて動いていたりもします。ガイドヘルパーを申し込んで、審査が通れば来月の終わりぐらいから利用できるのではないかと思っていますが、あと1ヶ月以上…がんばらなきゃなー。
そんな今日この頃なのですが、まさに今この瞬間の話を今日は書いてみようかと思いますが、自宅の近くで火災が起きています。朝10時を回ってすぐぐらいでしょうか、たくさんの消防車が我が家の近くにきては次々と止まって、一瞬夢なのかと思いましたけど。
よく最近、自分の家や自分が暮らしている場所の近所が燃える夢を見るんでね(苦笑)でもどうやら夢ではなく現実みたいで、消防の人が声を掛け合ったり叫んだり拡声器で何かを言ったりっていう声が聞こえます。現実ですね。
自宅にはこの時間、誰もいないんで正直不安で仕方なかったです。iPhoneを声のする方向にかざして物体認識アプリを使って写真を撮影しても、ポイントを外してるみたいでどこがどう燃えてるのかまではわかりませんでした。
その方法がうまくいけば、家から出たほうがいいのか、家にいたほうがいいのかっていう判断材料になるかなと思ったんですが失敗。とりあえず僕の家の前に人だかりができたことで、たぶんここは大丈夫だろうという判断をしましたが…。
こういうとき目が見えないって不安ですね。怖いけど、せめてパチパチっていう火の音や熱が伝わってくるような状況だったら判断できるんだけど。自立するということ、一人で立って生きるっていうことは本当に難しいんだなと思ったりして。
ひとまず、今これを書いている時間、家の前の人だかりもいなくなって消防の人の声もだんだん聞こえなくなっているので鎮火の方向に向かっているのかな。わかんないけどね。まだメラメラ燃えてて手がつけられない状態でってこともあるかしら。
荷物はまとめていつでも逃げられる状態にはしてありますが、次から次、いろいろですね。なんでこういうことになっちゃったんだろうなー。とにもかくにももうちょっと気を張ってたいなとは思います。
本当はこんな風にブログなんて書いてる場合じゃないのかもしれませんけどね。なんかやってないと不安なもんで書いてみました。
2017_02
21
(Tue)00:04

今日も考える

昨日のエントリー、よくよく読み返してみたら矛盾がありますね。好きなことだけ選んできた自分がいけないのかって考えているわりに、仕事は休みたい癖して音楽とポッドキャストは続けたいだなんて。それこそ言ってることとやろうとしてることがおかしい。素直なままに書くとこういうことになります、情けない。
みんなそう、苦しい琴だってやりたくないことだってそれぞれにあって、でもそこから逃げるわけにはいかない。みんなちゃんと向き合ったりそれなりに流したりしながら生きてる。僕はやっぱり逃げることしか考えていない。一つだけ弁解させていただくと、仕事を0の状態にしたいわけではありません。
ただ遊んで暮らしたいだなんてそんなことは思っていなくて、今好きだと思えるもの、前を向いて打ち込みたいと思えるものがあるうちに少しだけ苦しいことを休んで、苦しいことを続けるための力を蓄えたいという意味で書きました。そこが伝わっていないのだとしたら僕の言葉が足りませんでした。
仕事の内容そのものについては僕は生きがいをもって…いましたと書いたほうが正確なのかな?今はいろんなしがらみと職場の雰囲気に飲まれて、自分が本当にお客さんたちに提供したいサービス、届けたい気持ちや体温を与えられない状態になっていて、これもまた僕の伝える力の不足なんでしょう。
それがとてつもなく歯がゆくて悔しいんですが、スタッフもそれぞれにそれぞれの仕事でいっぱいいっぱいなのが手に取るようにわかるし、それに伴ってイライラしている人が多いことも知ってる。そこへきてお客さんから「マッサージ、頼んであるんやけどいつ呼ばれるんか」みたいにどやされれば矛先をこちらに向けたくなるのもわからんじゃない。
サービスの提供が不十分に鳴れば苦情が増えるのは至極当然の話で、時には診に覚えのないことで叱責されることもあって、お客さんに少しでも診も心も軽くなってもらいたいと思う僕の気持ちとスタッフの不足による職場全体の重い空気がギスギスになって…なんだかもう、正直よくわからなくなってきました。
最近僕と一緒に仕事をするようになったスタッフさんは僕のこと、嫌いな人多いんだろうね。必要以上の言葉を発しないし笑わないし暗いし。ポッドキャストやってる自分とは間逆ですよ。でもそれで職場全体の空気が和めばいいんじゃないかなって。お客さんの要望が絶対、声を発する人の発言は絶対。
なかなかご自身からは「わたし、まだなんでしょうか?」って言えないお客さんや「先生、いつも忙しそうだから希望してもお疲れになるでしょう」なんて気を遣ってマッサージを受けない人がいることだって知ってる。でもそれを言ってもスタッフをイライラさせるだけなんで。「ただでさえ忙しいのに仕事増やさないで」みたいな。
だから嫌われ役でいいかなって思って3年ぐらいは我慢してきたけど、そろそろ仕事については限界を感じてきました。かといって止めてしまえば生活ができない。昨日の件とあわせてですが、なんだか生きていく自信がどんどん消えていく。生きにくい世の中なんて言われてるけど、この状況も僕が招いたことなのかなー?
考え方次第でこの世の中、どうにでもなるのかもしれない。変えられないのは自分のせい。逃げだと思われても仕方ないですけど、本当に疲れてしまいました。少し休みたいです。でも…何度も言いますがそういうわけにはいかないんです。がんばらないと。僕ががんばらないと。そのためにはちょっとでいい、力がほしいな。
今日もグチグチとしたエントリーで申し訳ありません。明日も…というかもう明けて今日か。がんばります。今日は眠れるだろうか?
2017_02
20
(Mon)01:00

考える

去年、本当に久しぶりに僕に彼女と呼べる人ができました。薄っぺらく聞こえてしまうかもしれませんが、僕は彼女のことを本当に愛していました。本当に真剣に心から。僕ももう37です。あとがない…ことはないのかもしれない。でもそれなりにいい年です。
晩婚化だの独身貴族だのいい言葉はいっぱいありますが、自分の周りの同年代を見てみると結婚、一児・二児のお父さんという人もたくさんいます。「まだ若いんだから」は言い訳にならないと僕は思っています。そんなあせりもなかったわけじゃない。
でもそれ以上にずっとずっと一緒にいたいと思ったし、彼女を支えていきたいと思った。「ああ、この人だー」って。でもそんな彼女、突然僕の前からいなくなってしまいました。知らず知らずの間に僕のこの気持ちが重荷になってしまったんでしょうか?
それまで喧嘩らしい喧嘩もしていないし本当に順調だと僕は思っていたのに…。人の気持ちがつかめなかった僕のせいなんだとは思います。はっきりと結婚を意識してあせってたわけではないけど、ゆっくりゆっくりそこへ積み重ねていけたらとは思っていたので。
そんなことをやっているさなか、祖母が倒れ入退院を繰り返すようになり、ついに先日余命宣告まで受けました。肺癌だそうです。また一人、僕にとって大切な肉親がいなくなろうとしてる。
どうしてみんな、僕が大切な人たちは僕の前から突然いなくなるんだろう?母もおじも彼女も、みんなみんな大好きなのに。そりゃ確かに母との親子仲はけしてよくなかった。おじを許せない自分もいる。
でもいい思い出だってそれなりにあるんだ。ゴールデンウイークに母、おじ、祖母らと言った遊園地。母が二日酔いで寝ぼけて作った砂糖味のおにぎり。おじが教えてくれたテレビゲームのおもしろさ。
あの頃はみんな楽しくやってた。幸せだった。何がどこからおかしくなったんだろう?どうして?僕があの日、算数の宿題をちゃんとしていって、担任教師に左目を失明させられたりしなかったら…?
そもそも僕が生まれてきたことそのものが間違いだったのか?そんなことを祖母の余命宣告があってからのここ数日、ずっとずっと考えています。考えてもわからないけどずっとずっとずっとただずっと考えてます。
僕が多くを望んだからいけないのか?わがまま砲台してきたからか?たまに我慢することもあったかもしれない。でも楽なこと、好きなことばかりを気がついたら選んで。自分じゃそんなつもりないけど、わかってないだけ?
だから彼女もいなくなったの?祖母もいなくなっちゃうの?だったら悪いのは僕だ。ここには書けませんが14年ほど前、僕は大変な過ちを犯しました。弁解したって許されることじゃない。自分の寂しさと欲望に勝てないまま相手に深い深い傷を作った。
だから悪いのは僕。他の誰でもない、僕。それで昨日、一人でいなくなろうとしました。夕方、タクシーを呼んで、むかし行きつけだった理髪店にいきました。家族に行く先を聞かれたら散発とでも言っていなくなろうと思って。でもその時間、家族は家にいませんでしたけど。
散発をしてそこの店長に概要程度の近況を話しましたけど、家出をしてきたとは言えなかった。「家に帰りたくない。あの家にいる資格はない」ぐらいのことは言ったかもしれない。でもそんなことでドラマみたいに話が運ぶほど世の中は甘くないことも知ってる。だから一度は帰ろうとしました。
だけど、少しだけ今の家に引っ越す前のアパートに行ってみたくなって駅から逆の方向に歩いて。全てが懐かしかった。ここを歩いてバス通勤していたこと、たまに東京や福岡、大阪に行くために駅に向かったこと。もっともっと前、社会人なり立ての頃の自分、アパートの隣のローソン。
いろいろ思い出した。あの頃は一人でできることも家族に手を貸してもらうことも今より少しは少なかったんだろうに、今じゃ典型的なだめな視覚障害者になってしまってる。だからか?だからみんな愛想着かしていなくなっちゃうのか?だとしたらやっぱり自分は消えたほうがいいんじゃないか?
そう思ったら帰るのが急に怖くなった。家族に出て行けって言われているような感じがずっと耳の奥でしてた。寒いのと怖いのでずっと震えてた。震えながらスマホでtwitterやFBの友達に「今夜、誰か泊めて」なんて叫んでた。消えたいくせに怖くなって叫んでた。でも返事なんてこない。
そりゃそうです。みんなそれぞれに生活があってそれぞれに生きている。むちゃくちゃな話です。だからやっぱりこのまま消えようと思っていたんですが、生まれて初めて警察のお世話になって、僕は今の自宅にいます。まだ生きています。消えられずにいます。そしてまた考えてます。
あのとき、もっと遠くに行ってればよかったのかとか、電車に乗って違う県に適当に行こうかとか。お金はそこそこ持ってたしもっと何かいい方法あったのかもしれないし、さっさとどこかの川にでも飛び込めばよかったのかもしれない。でも直前でやっぱりできなかったんだろうけど。
一人ぼっちになるの、怖いです。一人で生きてるわけじゃないのはわかっています。家族だけじゃない、自分には大切な友達もたくさんいます。ポッドキャストなんかを通じてたくさんの人と出会いました。大好きな人たち。でも、自分が知らない間にその人たちをズタズタにしてるのだとしたら。
みんないつかさっと「実はおまえのそういうとこ、前から大嫌いだった」とか言われていなくなったりしたら。怖い。僕の大切は、僕の大好きは人を不幸にしてる。だとしたら怖い。やっぱり消えたい。でもこれを書き残しているということは…やっぱり消えたくない。ずっと考えています。
少しだけわがままを言いたいです。それが許されない世の中であり状況であるのもわかっていますが、しばらく音楽とポッドキャスト以外のいろいろをお休みしたい。音楽とポッドキャストはやりたい。まだやりたいと思えるから。思わせてくれる人たちがいるから。
それに、唯一がんばらずにがんばれることだと思ってる。これすらできなくなったら僕は本当に消えなくてはいけないんだと思う。少しだけ、ほんの少しだけでいい。半年ぐらいでもいい。ちょっと休みたいです。でもそれはできない。いい大人がそれはできない。がんばらなきゃ。
ずっと考えています。今夜も考えます。がんばります。最後に、twitterやFACEBOOK、Lineなんかで心配して声をかけてくださった人たち、ありがとうございました。そして心配かけてごめんなさい。自殺だけはしません。誓います。ごめんなさい。
2017_02
05
(Sun)06:31

お腹のルーティーン

2月になりました。先月は総合的に見ると気温が高い日が多く、気象庁だかウェザーマップだか忘れちゃいましたが見解としてはやはり今シーズンは暖冬だそうで。とはいえ先月末は寒かったですね。Apple watchで確認する気温が二桁いった日が何日あったでしょうか?
そのせいなのかなんなのかDYさん、お腹を壊して1週間ほど寝込んでいました。正確には、一番酷かったのが先週月曜から水曜ぐらいまで。木曜日からは少し気分も落ち着いてゴソゴソやっているんですけど、なにぶん力が入らないので仕事は1週間休んでおります。
こうして考えるとマッサージ師の仕事、自分では特にここ最近、慣れもあってあまり意識したことなかったんですけど、力のいる仕事なんだなって(笑)本当に寝、お腹壊すと力が入らないんですよね。無理に血から入れるとすぐ気持ち悪くなって上ってきちゃう。
だいたい2年周忌でお腹の風邪を引いてるここ数年のような気がしているんですが、今回は下痢もないし、下痢ならばまだ僕的には耐えられそうなもんなんですけど、今回のはずーーっと吐き気だけが続いていて本当にしんどかった。もう1週間ぐらいは無理はできないかなーなんて。
寝込んでいた数日のお話は今日行進のポッドキャスト、PULVERIZEBEAT第459回にてしゃべっていますのでもしよろしければ。金曜日に収録したので声だけはそこそこ元気よ。
この収録後のお話をここでは書きますが…まーざっくりいうと昨日のお話ね。だいぶ気分もよくなってきまして、そんなに無理をしなければ動き回るのも苦ではなくなりました。食事も、ゆっくりであれば気持ち悪くならない程度にはなってます。
ただ食後、食べ物が胃で消化されるタイミングなのかな?油断すると気持ち悪くなっちゃうので、そのときは横になってやり過ごしてる感じ。吐いたほうがいいのかもしれないんですが実はDYさん、嘔吐恐怖症みたいなものも持ち合わせていて厄介な性格なのですねーこれが。
水曜日ぐらいまではお風呂に入っても、何の刺激だかよくわかんないんですが上ってきちゃうので怖かったんですけど、金曜日ぐらいからこちらもだいぶましになってきました。昨日は「口の中が気持ち悪いなー」なんて思って、風呂のついでに歯を磨こうとしたもののこれが大失敗で、上ってきちゃって途中でおしまい。
そんな昨日の風呂には生まれて初めて、腕時計というものをして入りました。Apple watchの液晶がちょっと汚れてたんで入るついでにきれいきれいしようと思ったわけなのですが、思ってたほどの感動はなかったもののいい経験になったというかね。「へー、こんな感じなんだ」みたいなね(笑)
収録語の体調についてはそんなもんです。具合が回復してきて気がついたこととして、やはりものすごい肉体的にも精神的にも疲れてるんだなと思いました。それはこの胃腸風邪のせいもあるんだろうし、生活の中の諸々もあるんだろうし。いろんな意味で余裕さえあればしばらくゆっくりしたいもんですが…。
ということで、さすがに明日からは仕事に出られるようにしたいなと思っています。この体調不良のせいでやりかけていたもの、作りかけているものがぜんぜん進まないという状態になっているのですが、徐々にチャージしながら進めていきたいと思いますので皆様、よろしくお願いしますね。ほんとお腹の風邪、なめんなよ(笑)
2017_01
09
(Mon)00:31

三回忌

早いもので母が旅立ってから2年が経ちました。昨年、一昨年とこのブログでも自分の気持ちを書いてきました。あのときと気持ちは変わっていないし、今もまだ母がここにいないことを信じられない自分もいます。
ある日突然「だい、元気かえ?」とか言って現れて、祖母やおばと一緒に強くもないお酒を飲みながらしゃべって。「嘘ついてごめんなー」とか言って。そんなことを妄想することもありますし、夢にも出てきます。
この気持ちは何年経っても変わらないんだろうなー。ある意味では変わってはいけないものなのかもしれない。誰かが言ってたことの請負だけど、あちらへ旅立った人のことを時々思い出してあげることは供養にもなるのだと。
この1年で特別何かが自分の中で変わったのかというとそんなことはないですね。相変わらず職場でうまくやれてないしそれどころか…もしかしたら転職活動しなくてはいけないかもしれないぐらい今ちょっと限界にきていて。
戻れないし進めないしどうしたらいいのかわからない自分もいて。祖母も体を悪くして大変な時期に自分が仕事をいったん辞めていいのかとか、自分はともかくこの家は大丈夫なのかとか、不安ばかりが積もる毎日です。
眠れない夜も少しずつ増えてきましたし、昨年最後のエントリーでも書きましたが失恋とかね(笑)いい大人、いいおっさんが失恋ごときで一晩中泣いてみたり食欲なくしてみたり仕事に行けない日があったり痩せてみたり。
情けないったらありゃしませんよね。こんな状態であちらの母は心配してるだろうか?それとも「相変わらずあんたはだめな人やなー」とあきれているだろうか?しかられたいわけじゃないけど、母の情け容赦のない小言が少しだけ懐かしいな。
まーけどね、失恋に関してはもし母にとがめられたら言ってやりますよ。「少なくともおれは心から真剣だったし心から愛してたし、それゆえ心から傷ついたよ」って。こういう恋しかできないしそれが自分の短所でもあることはわかってるしね。
あの出来事のダメージは自分で気がついているところもそうだし、気がついていないところでも大きかったんだっていうのを最近しみじみ感じてて、最近会った友達には「表情が辛そう」って言われたりね(笑)笑ってる表情が硬いんだそうです。
この間のネットラジオでのカウントダウンのときもそう言われたなー。「嘘だけはつく大人になるな」って母にも学校の先生にも言われて育ってきてやってきたけど、こういうことでちゃんと笑えなくなってるのってなんかしんどいね。
ただ「なんにも変わってねー」部分も確かにあるけど大きく変わったところもあって、20年っていう時間はかかったけど自分の音楽を売り物にしたり憧れだったステージに立てたり、母が否定していた僕の音楽がちょっとだけ羽ばたきました。
「あんたの曲はアホでも作れる」と言っていた母。そうかもしれない。でもそのアホでも作れるものをその一言で捨てられるほど簡単ではなくて、僕はあきらめきれなかった。あきらめなかったから夢、叶ったよ。今のところそれだけはそっちに行ったとき、胸張って言えるかな。
そっちは1年経ってどうですか?おじとは仲良くやってますか?曾祖母や祖父とも仲良くやってますか?僕は祖父を知らないけど、母のお父さんはどんな人なんだろうね。僕、相変わらずです。相変わらず一人じゃなんにもできないやつです。
いつかあなたが言ったように、僕は人に頼ることしか考えてないかもしれません。なんにも変わってない。生きてていいのかなって思うこともあるけど、こんな僕にも「一人にしないよ」って言ってくれる友達がいるんだ。数はそんなに多くないけど、でも熱い人たちなんだ。
それにこんな僕のことを魅力的な人だって言ってくれる人もいるし、尊敬するミュージシャンなんて言ってくれる人までいるんだ。その人たちと手を取り合って、おもしろいもんをいっぱいばら撒いて、誰かがそれを拾ってくれて笑ってくれるようなこと、やっていこうと思うよ。
あと、いつになるかわかんないけど…こんな僕だけどやっぱ家族ってほしいんだよね。夫婦2人でもいいから暖かくてやわらかい笑顔の耐えない家庭なんてものを一度は作ってみたいって夢もあるんだ。そのためにはまず元気にならないとだけど(笑)
そんな家庭を僕が作るまで、祖母をもう少し…いいかな?まだ連れて行かないでほしいな。僕の嫁さんを祖母に見せてからじゃないと、おかあさん、急いでそっちに行くから嫁も見せてやれなかったし孫を抱かせることだってできなかったし。だから頼むわ。
だめな息子ですけど、この1年もどうか見守っててください。そんなことを考える深夜0時半の自室より。
2017_01
01
(Sun)10:16

謹賀新年2017

徒然DY進化論をごらんの皆さん、新年明けましておめでとうございます。旧年中はポッドキャストを始めデジタルシングル、そしてアルバムまで、さまざまなコンテンツを聞いたりお買い上げいただいたり、DYを楽しんでいただき、本当にどうもありがとうございました。
また昨日パラビとしては3度目となります年越しカウントダウン生放送を行いましたが、スカイプやtwitter、メール等々で参加してくださった皆さん、そして気にかけてくださってた皆さん。どうもありがとうございます。おかげさまで今年もよい年越しができました。
ま~なんと言いますか今年の生放送、カオスでしたねー(笑)過去2回はわりと正統派というか、結果的に絵に描いたような綺麗なテンプレートに落とし込む形になってたと思うんですが、そういう意味では今年は斬新だった。やっぱ中野さんと堀川さんが揃うとおもろいことがたくさん起きますね。
ぜんぜん彼らの中にはそういう意識はないんだろうと思いますけど、いろんな意味で激動の2016年だったじゃない。地震もあったし、それぞれの生活の中にも大きな変化、小さな変化がいろいろあって。よかったことはより大きく、よくなかったことは笑い飛ばそう。なんかそういう、例年とは違ったいい放送にできたと思ってます。
そして昨日に限らずなんですけど、人に何かを発信するという行為を10年近く続けてきて、こうしてよいご縁がたくさんあって、一緒に手を繋いでおもしろいことをやってくれる人たちがいるっていうのは本当に僕にとって財産だし、感謝しっぱなしです。皆さん、いつも本当にありがとうございます。
そんなことを書いている間にトルコでナイトクラブ襲撃なんていう物騒なニュースが飛び込んできました。なんだかなー。こういうのを見ると日本はまだまだ平和だと思う反面、恐怖もありますね。
さて、2017年が明けました。今年の僕の目標。もう既に出ているポッドキャストなどでも話していますが、まずは昨年駆け抜けましたミュージシャンDYとしては、この流れを止めたくないなっていうのはあります。いいかどうかは別にして流れは確実に生まれたと思う。
その手始めに、2月にデジタルシングルを出そうと考えています。タイトルはWith Youとつけました。上で書いたような感謝の気持ちをアッパーなトラックに乗せたポップな曲になる…んじゃないかな(笑)まだラフしかないんでね。これからアレンジ詰めて歌詞書いて歌入れて…な感じです。
アルバムが出て間がないタイミングで新曲っていうのも攻めてますね。まだ具体的にいつリリースかっていうのは言えないですが楽しみにしててください。それから、音亀さんのほうでは言ってたと思うんでここまでは書いて大丈夫だろうと思うんですが、昨年の音亀フェスのコンピレーションアルバムに僕DYも参加します。
音亀フェスコンピはあったかくなるぐらいには皆さんのお耳に届く感じかな?お楽しみにしててください。他にもいろいろやりたいことがあって、バンドもやりたいしね。自分のソロワークで昨年みたいにアルバムを出せるかどうかはわからないですが、いろんな人とタッグを組んでその人とじゃないと出せない音を生み出していきたいな。
ポッドキャスト面では、まずは今年DYのPULVERIZEBEATは10周年イヤーになります。11月4日にジャスト10周年なので、まずはそこまできちんと続いていることが目標。
そんな10周年ですが、今年はどこまでできるかわからないですけどいろんな人にリアルで会いに行きたいな。いつもきてもらう側ですし会ってみたい人もたくさんいる。とりあえずぜったい行きたい場所は鹿児島。
パラビやっててこれほど悔しいことはないんですが、本場鹿児島のしろくまの大きさを誰も信じてくれないのよ(笑)みんな、コンビニに売ってるちっちゃいカップのやつに毛が生えた程度ぐらいにしか思ってないでしょ?違うから。マジやばいから(笑)
ということで体当たり企画は考えています。他にも香川や岡山、大阪、できれば名古屋辺りも行って見たい。更に更に願わくば北海道にも。夢は膨らみますが、1箇所でもたくさんのところに行けるようにがんばらなくちゃね。
あとなまパラビも今年は去年よりは多く(笑)飽きたわけじゃないんだけどネタが降ってこないのですよ。何気になまパラビも始めて4年とかになるんだっけ?そんなんで生放送の頻度も増やせたらいいですね。またいろんな人に力を借りると思いますが、よろしくお願いします。
そして最後になりますが、パラビを始めて9年経って、やっとです。やっと新番組を始めることができました。その名は口コミファーム「音畑」と申します。年末からちょこちょこ出していたやつ、ようやくベールを脱ぎました。
今までは「別に新番組立ち上げるほどのものでもないかな」と思うものばかりを号外として消費してきましたが、ようやくパラビの枠では収まらないものを思いついた感じです。僕と音原瑠菜さんの2人でもっともポッドキャスト向きではない番組を始めました(笑)
よい音楽は昔から人から人への口コミで広まっていったと思うんです。昔でいうところの、ラジオで流れた音楽を歌声喫茶でみんなで歌ったり、時代が進んでラジオから流れる曲をカセットに録音して何度も聞いて覚えたり、それをカラオケに行って歌ったり。
それをみんなで共有して楽しんでいたものが今こうしてネット社会が当たり前に鳴って、やれニコ動だやれyoutubeだいろいろありますが、日本の音楽著作権団体的には快く思われていない形でもこの人から人への口コミって馬鹿にできないと思うんです。
それを僕らが発信源になって一つできないかなと思ったのがこの番組。まー僕と音原さん、音楽なしでは生きていけない人たちだし、わりと朝、youtubeの音楽を渡しあうみたいな遊びをやってて(笑)これを番組にできないかなと思ったのがきっかけなんだけど。
これも、ひとまずは1年続けるというのを目標に始めました。興味がありましたら皆さんぜひ聞いて、お便りをください。よろしくお願いいたします。そんなわけで、今年もずいぶん長くなって、しかもまたずいぶんと新年の目標を欲張った形になりましたが、何はともあれこれらを達成するために必要なものは健康です。
体には気をつけながらがんばりたいと思います。そして1年後の今日を笑って迎えられていたらいいなと思います。2017年も一歩ずつ確実に歩いていきたいと思いますので、皆さん今年もよろしくお願いいたします。
2016_12
31
(Sat)13:46

DY、回顧2016

今年も残すところあと10時間ちょっととなりました。未だもってまったく実感ないですが2016年ももうすぐ終わって新しい年が始まります。皆さんにとっての2016年、どんな年だったでしょうか?
ここ数日、僕は来年に向けたいろいろを仕込みながら過ごしてたりするんですが、そんな中でもちょっと一時腰を吸えて今年1年を振り返ってみようかなと思ってこのエントリーを書き始めました。まーやり残したことはいくらでもあって、アルバムの曲解説と歌詞をまだぜんぜん載せられてないとか(笑)これは来年に持ち越しだね、ごめんなさい。
このエントリーを書き終えた頃には何か実感沸くかなとか思ったりもしていますが、そんな感じで2016年のDYさんの動きを振り返って今年の進化論を閉じたいと思います。しばしお付き合いいただけたら幸いです。
例年ですとベスト10方式で振り返りをやっていますが、今年は順位をつけられないぐらい自分にとって大きな出来事がたくさんたくさんありました。それを1月から順を追って書き記したいと思います。
1月。寒かったですねー。そして今年も生放送でカウントダウンをしながらの幕開けとなりました。たくさんの人に参加してもらえてにぎやかな年越しができたと思っていますし、今夜も11時から生放送で年越しをやります。まだ参加者を募集してますのでぜひよろしく。
そしてこの生放送の中でデジタルシングル、後に「l & p」とタイトルがつくわけですが、それのリリースを告知しましたね。お年玉として新曲もかけました。ミュージシャンとしてのイメージを固めるという宣言もここでやってますね。
2月。上で書いたl & pに収録する曲のレコーディングとマスタリングをしてました。labyrinthは少し手直ししてますけどほぼほぼそのままで、perfectmanを主にここではやってた感じですね。そしてこのperfectmanでゴールドコンサートへの挑戦というのもありました。
音源を本部に送ったのは1月だったかな?だからゴールドコンサートに応募したものは新しくレコーディングしたものじゃなかったんですよね。結果的に通ったからよかったけど(笑)もっとちゃんとしときゃよかったなー…なんて今更思ったり。
3月はそのl & pがリリース。今もiTunesやAMAZON MUSICからダウンロード購入いただけます。自分の曲を売り物にするというのは正直今も「どうなんだろうなー」という漠然としたものはありますが、後に話しますアルバムも含めていいチャレンジをさせてもらったと思ってます。
音楽面以外ではパラビの企画として「点字ブロックについて考える」というものをやりました。これもポッドキャストで公開していますが、さまざまな立場の人や点字ブロック発生の地が地元という方からお話をうかがえたり、点字ブロックの未来についても学ぶことができて非常にこれもいい経験になりました。デカプーさんの海外の話は興味深かったなー。
4月。なんと言っても地震です。阪神淡路や東日本で起きた巨大地震は知識としてありましたし、最近それに関する書物を読んだりテレビを見たりというので頭だけはでっかちになってたのですが、実際体感すると、恐ろしいなんて言葉では言い表せないものがありました。
幸い我が家はほぼ無傷でしたが、熊本の被害。特にチョッパーさんが一度は死を覚悟したという話は今思い出してもぞっとします。でも今こうしてみんな無事で生きていられること。本当にありがたいことです。もちろん未だ、身体や心に傷を抱えて生きる人たちがいることは忘れたくないですね。
5月。祖母が入院しました。地震の直後ぐらいから様子がおかしく、何度も何軒も病院をまわっては検査をいろいろしていたのですが体調は悪化するばかりで、どうやら一過性の脳虚血発作が起きているのではないかという結論には達したのですが、病変が発見できない。それで5月にとうとう入院です。
7月になる前に一度帰ってはきたのですが9月に入院。11月頭に帰ってきてまた入院とそういう生活を繰り返しています。正直、今すごく怖いです。おじが死に母が死に、祖母までいなくなってしまうのではないかと考えると怖くてたまりません。誰にも何もできていない。そんな悔しさと闘う日々です。
6月。音亀フェスの音作りだったり、年内を目標に定めていたアルバムの曲たちを少しずつエンジンかけながら作り始めた感じ。今年は自分の範囲でもいろんなものを作りましたし、あおいコッシーに提供した「風の贈り物」は僕にとってもすごい挑戦だった。
そして6月終わりぐらいにまさかまさかのゴールドコンサート、本戦への出場が決まるという嬉しいこともありました。いつも客席から浅倉さんのコンサートを見ていた、参加していたあの国際フォーラムのステージで自分が歌えるっていうのは本当に一つ、でっかい夢を手にした気分ではありました。
7月も、祖母が一度退院したという我が家にとっては明るいニュースもありましたが、その一方でものすごい豪雨に見舞われたりいつまでたっても天気が安定しない毎日だった印象ですね。この頃からゴールドコンサートに向けた練習もきちんとするようになったりしてね(笑)
あと自分にとっては大橋巨泉さんが亡くなったというニュースはショックだったなー。年齢も年齢ですし何度と泣く癌との闘いをしているわけですけど、それでもいつだって這い上がってきてた方だから、またいつものように「よう、出てやるよ」ってテレビにひょっこり表れるような気がしてて。今でもそんな気がするんですけどね。
8月。だいぶ精神的には穏やかでなくなってきてた。祖母の具合がまた悪くなっていたり、それにも関わらず病院に連れて行ってくれようとしない同居してるおばとの喧嘩もそこそこあったし。結果的に9月に救急搬送されるというところまでいっちゃったんだけど…。あとは仕事もうまくいかない状態がピークだった。
とにかく暑さだけじゃない、むしろ暑さなんてどうでもいいぐらい日常生活にイライラしてました。欝状態もそこそこあって、猛暑日にクーラーかけなくても平気みたいな日があったり食事もしたくない日があったり。とにかく自分が情けないって思う日が続いてました。
9月。上で言った祖母の救急搬送。これ、5月に続いて2回目。あんなに衰弱した祖母は見たことがなかったし見てられなかった。自分を責めもしたしおばを攻めるようなことも言ったと思います。そんな状態でゴールドコンサートの本番は近づいてきてて、出ていいのかなってすごく悩んだこともあって。
そんなこの時期ですけど…いや、だからなのかな?実はお付き合いを始めた人がいました。彼女です。本当に久しぶりにあんな感覚になったというか、ぐいぐい彼女に引かれる自分がいて。9月にお付き合いが始まったのだけど、実は10月にお別れしまして。
10月はなんと言ってもゴールドコンサートです。本番当日までうじうじ悩んでいたぐらいだったんですけど、いろいろな方の協力や支えがあって一つ、でっかい夢を叶えることができました。これに関してはただただ感謝。現時点で悔いはありません。
そのあとすぐ、上で言った彼女とお別れしました。何があったかはここでは書きませんが、本当に毎日しんどかった…というか今も完全には乗り越えられていなくて、油断すると一気に押し寄せてきて蛇口ひねったみたいに涙が出てくる。笑うという行為を意識しないとできないのって辛いんですね。
11月。音亀フェスが公開になりました。DYステージに関してはたくさんの方にいろんな反響をいただき感謝しています。特に「perfectmanで泣いた」というお声を頂戴したときは嬉しかったなー。僕なりのパッション、伝わってくれてたら嬉しいです。
この辺ではアルバム製作が架橋も架橋でした。曲は全部揃っててマスタリングやったりサイトを通じて各種ストアに送り込んだり。アルバムについては10月の出来事があって本格的に体調崩しまして、年内は無理かと思ってたんだけどなんとか。
そして12月。記憶に新しいところ、僕のアルバム「JOIN CIRCLE」がリリース。これは本当に自分一人だけでなく、アートワークで協力してくれた方、ギターで協力してくれた方、試聴用動画の政策に協力してくれた方、CMのナレーションをしてくれた方。
いろんな人の支えでできたことだと思ってる。みんながいなければ僕はこれ、出せなかったと思うんです。そこも含めてのJOIN CIRCLEになったかなーって。今あるご縁、今繋がってくれている出会い。手を差し伸べてくれる人の温かさ。僕の宝物です。本当にありがとうございます。
ということでざっと、僕の2016年を振り返ってきました。地震がやはり自分にとっては大きくて、それが原因だとは言わないけれどそこから巨木が倒れるように何かが崩れていくそんな恐怖も自分の中にはずっとあって、その不安と闘う中でも光を与えてくれる人がいたり強い力で引き寄せられる出会いがあったり更に別れがあったり。
激動だったと思います。正直もうしばらくはこの気持ち、引きずることになると思う。でも僕は一人じゃない、そのことはわかっているつもりです。寄りかかってしまうことは多いと思いますがもうしばらく皆さん、助けてください。ぜったいまた、がんばらなくても笑える僕になります。
最後になりますが、2016年もこのブログ、徒然DY進化論やポッドキャスト、DYのPULVERIZEBEAT、そして僕の音楽を通じてDYを応援くださった皆様、どうもありがとうございました。ちょっぴりネガティブに終わっていこうとしている2016年ですが、2017年は早々にいろいろやります。
まず今夜、年越しのカウントダウン放送がありますし、明日から新番組も始めます。そして今夜のカウントダウンで初解禁しようと思っているある情報もありますし、なんと言っても来年はパラビ10周年イヤーです。そこまでは止まらずに続けていきたいな。ということで2017年も僕DYと諸々のコンテンツ、よろしくお願いします。
2016_09
27
(Tue)19:52

Apple Watchを買いました

あちこちで話したり書いたりしてることをまた書くのでしつこいと思われるかもしれないけどまー聞いてくれ。学生時代、寮生活をしていた僕はある日の入浴中、ひょんなことから腕時計をしたまま湯船につかっている弱視の先輩を発見しました。

「ちょちょちょちょ!!ちょっと…腕時計はめたままじゃないっすか!!」なんて驚いている僕に彼は「ああ、これ防水だから大丈夫なんだよ」と教えてくれました。どうやらそのゴツゴツしたかっちょいい腕時計の名は、当時むちゃくちゃ流行っていたGショックというものだったらしい。

視覚障害者だって腕時計はする。指で針を直接触って時刻を確かめるものもあれば、ボタンを押すことで音声を確認して時間を知るタイプのものもある。だがしかし、防水だの時計以外の機能だの、そんなものと視覚障害者の時計は無縁だと思っていました。

防水はもちろんのこと生活防水すらないのです。トイレの後で手を洗うときなんてそりゃもう大変です。うっかりぬれてしまったひにゃわりとすぐにぶっ壊れます。触読式はまだ壊れにくかった気がするけど、まーいずれ中がさび付いたりして動かなくなります。音声のタイプも、水が入ったらその時点でアウトです。

このご時勢電波で時刻を自動調整なんていう機能すら腕時計にはございません。据え置きタイプの時計にはあるんだけどね。そして、良くも悪くもデザインがシンプルすぎて泣けるという欠点も。それほどファッションにこだわりがある僕ではありませんが、やっぱGショックとか見せられたら…みなまでいうまい。

むかしお付き合いしてた彼女もベイビーGとかしてましたよ。なんでこんなスタイリッシュな腕時計が盲人の世界にはないのか?あまりにも悔しくて一瞬、アクセサリーとしてGショックを買ってやろうかとまで思ったことがあるぐらいです。そんなわけで、僕はずっとずっとずっとずっとスタイリッシュな時計にあこがれていました。苦節20年。

そんな僕の夢をまたもAppleさん、適えてくれちゃいました。2年前のエントリー、iPhone6やApple Watchが初めて発表された発表会直後のエントリーでも散々書いてますけど、ついに僕の手元にもきましたApple Watch。

昨年出た初代Watchも、出た直後はすごいほしくてたまらなくて、でも先立つものがなかったことと、先立つものが貯まった頃には熱も冷めてしまってて結局見送ったのですが、今回シリーズ2になって、まずプロセッサーがデュアルコアになってパフォーマンスが向上したという話と、なんといってもフェリカですよね。

iPhone7には搭載されてますが、僕は6sの残債があと1年残ってることもあり7は見送りました。でも「チャリーン♪」やってみたい…そんなわがままな僕のために出た感じですかねこれ(笑)フェリカはでかいよ。あと防水でしょ?かっちょいいでしょ?ボイスオーバー乗ってるじゃない?そりゃ買うよね。

一番の僕的な決め手はフェリカでしたが、まーそんなこんなで予約当日にいそいそと予約しまして昨日届きました。その直後、ツイキャスで開封の儀を配信しましたが、これを見ていただいてもわかるように、全盲の僕でも自力でセットアップからペアリングまで問題なくできました。

iOSにしてもそうだけど、やっぱ自力でセットアップできてストレスなく使うことができるってのはでかいですよね。特別Apple信者ってわけじゃないけど、間違いなく視覚障害者にとっては魅力的な部分だとは思う。さあ、そんなこんなで今日、実際に1日つけて使ってみましたApple Watch。スマートウォッチ自体も初めて使うのですが、率直に、やっぱいいね。

いろんなところで言われてることだけど、iPhoneで受けたtwitterやらLineの通知をiPhoneを取り出さずに確認できるところもいいし、時計としても、当たり前ですが時間もぜんぜん狂わないし。文字盤が一杯あって選べるところもいい。僕はアストロノミーにしてます。去年のしんさんのレビューを聞いてからずっとこれにすると決めてたからねー。
あとね、タップティックタイムが意外と使えた。ボイスオーバー積んでるので音声でも時刻を知ることができますが、仕事中に音声を出して自国を確認するというのは環境によっていろいろあると思うんですよね。んでWatch OS3からの新機能ですが、新たに振動で時刻を確かめることができるようになりました。
そんなわけで今日1日使ってみて、やっぱこれはいいものだと再認識したわけです。ほぼ1日つけてますが、朝フル充電で出かけて今この時間、まだバッテリーが57%あります。明日は仕事休みなんでつけなくてもいいと思うし、充電は明日でいいかなー?そんな感じ。これからいろいろと大活躍してくれそうな気がします。
ちなみに、ウェアラブル端末なのにウェアラブルな機能をほとんどオフってしまった(笑)だって「少し休みましょう」「立って歩きましょう」などなどうるさいんだもの(笑)なにっ?少し休みましょうだと?休めたら苦労はせんわい(笑)そんな感じですが、このウェアラブルな部分にもいずれお世話になるときがくるのだろうか?
今のところApple Watch標準のアプリでは無理っぽいけど、睡眠管理みたいなことはしてみたいですけどね。最近寝つきがあまりよろしくなくて。あと、1時間ごとに時報を知らせてくれるアプリがほしいなって思った。時報のアプリは一つ使ってるんですけどWatchには対応してないっぽくて。
そんなわけで、全盲の僕が初めて手にいれたスタイリッシュな腕時計。まだわかってないところもたくさんありますが、少しずつ仲良くなっていければと思います。なんか便利なアプリやおもしろいアプリなどありましたら皆さん、教えてください。
2016_08
31
(Wed)06:21

焼肉の日もあれば野菜の日もあって世の中よくできてる

8月のなまパラビ告知以来、お久しぶりのエントリーです。一時期は日本の南に三つの台風がいるという状況もありましたが、観測開始以来初めてとなる東北への台風上陸なんかもありつつ皆さんいかがお過ごし?
今月は世の中を見てもそうですが個人的にもいろいろあってけっこうドタバタしていました。まず世の中的ですけどなんといってもオリンピックですね。ミーハーってわけでもないのかもしれないですが毎回オリンピックはテレビやラジオで注目して見てしまうんですけど、今回のリオはなかなかそうもいかなくて。
12時間という時差もそうなんですがテレビをじっくり見るという心の余裕もなかったんで、朝起きてスマホに届くYAHOOの速報を見たりニュースのダイジェストとかで結果を知るというテンション低めの生活をしていました。そのさなかSMAP解散っていう報道もあったりして(苦笑)あの速報はびっくりしたね。
あと個人的には…どこから話せばいいのかってぐらいいろいろありました。あんまり表立って書くのもどうかというところからさらっといきましょうか。仕事が辛い…職場が辛い…かみ合わない…話にならない…孤独感が半端じゃない……こんなもんでいい?
あと、実はここ2週間ぐらいかな。祖母の具合があまり芳しくありません。この夏の暑さの影響だったり心労もあるのかな。仕事もあるし1日中祖母を監視するということもできないので僕が家にいない間どんな生活をしてるのかはわからないところですけど、水分とかちゃんととってるんやろうか?
とにかく2週間ぐらい前からまた足取りが極端に悪くなって、転倒も目立ち始めたし、午前中からお昼にかけてはほぼほぼ動けないといった日があって。「もうわたしなんか死ねばいい」とやけくそに口にすることも増えてきてて欝症状も強くなっています。
こういうとき一緒に住んでるおばだけが頼りなんだけど、嫁という立場もあってのこともあるのかな?あと優しすぎるほど優しい人なので嫌がる祖母を無理にでも引っ張って病院に連れて行こうなどということもしてくれず…。僕は僕で動くのに制限あるし、どうしたらいいんだろうと毎日気をもんでます。
なんにもできなくて、神頼みじゃないけど、亡くなった母やおじに「祖母を連れて行かないでくれ」と手を合わせることぐらいが精一杯で…。亡くなる前や亡くなってからもずっと彼ら兄弟を許せずにのろしっておいて勝手なもんですが…情けないね。
とにかくこのいろんなことが見えない状況、不安だし心配ではありますが、いろんな人たちに支えられて今があるしね。自分もあまりよい精神状態ではないと思ってます。眠ることはできているし食欲も…あるわけじゃないけど食べるようにはしてます。
時間は誰にでも平等にすぎていて確実に近づいているものもあって、そこへ向けてなんとか折れないように生きていきたいなって思います。ゴールドコンサートも正直、この状況で出ていいもんかどうか、今もすごい揺れていますが、そこはあきらめてはいけない気もします。うまく言えないけど。
そんなわけで、夏はいってしまいますが秋に向けてしっかり自分を持ってがんばってこうかなと思います。今後、実はまたデジタルシングルのリリースとかあったりします。今月に入ってからお話をいただいて急遽リリースすることが決まりました。
詳しくはまたポッドキャストなんかでお話したいと思っていますしここでも告知を載せようと思いますのでよろしくお願いします。あと、11月5日に配信開始の音亀フェス2016に出演することも決まっていますし、相変わらずアルバム製作もやってます。
いろいろありますが、皆さんからパワーを借りながら一歩一歩、戻ることなく進めるようにがんばりたいと思います。勝負の秋が始まるって感じかな。そんなわけで、引き続きDYの進化をゆっくり見守ってくださいね。
2016_07
08
(Fri)20:02

副鼻腔炎になったとさ

雨の金曜日、皆さんいかがお過ごしでしょうか?昨日は七夕でしたけど、織姫と彦星は1年に1度のデートを楽しめたかな?僕の織姫は未だ現れません(涙)まさに「君がいい、選びたくて、選ばれないことばかりで♪」です。
そんなさびしい話はおいておいて、今日は1年ぶりぐらいでしょうか、耳鼻科に行ってきました。実は地震の前ぐらいからでしょうか、どうも鼻の調子がよくないなーと思ってたんです。春先に風邪の症状があってそこからずっと鼻がグシュグシュいってて。
「今年はいつになく花粉症の症状強いなー」なんてのんきに思ってました。「だがおれは花粉症ごときで耳鼻科にはいかん」などとわけのわからないことも思ってたり(笑)それが1ヶ月、2ヶ月過ぎてもいっこうに治まらない。
そうこうしていたら祖母の入院があったりなんたりでドタバタしていて、家中ドタバタで、自分も病院に行くという余裕がなくそのまま放置していました。ようやく7月になり、鼻のグシュグシュが未だ治まる気配なしという状態。
自分の声がモワンモワン響いたり、鼻水鼻づまりの症状が強い日などは耳まで詰まって気が狂いそうになるぐらいだったり、目の奥が重く目やにもそこそこ量が多めに出てくる日もあって、こりゃちょっと覚悟を決めて行かんとあかんやろうと。
この4ヶ月ぐらいはかかりつけの内科でもらった風邪薬でしのいでいましたがあんまり効果がなかったこともあり、重い腰をどっこいしょとあげて近くの耳鼻科へ。ちっちゃい頃の中耳炎の治療のトラウマなんでしょうかね、未だに耳鼻科は苦手です。
「とっとと終われ」という気持ちと「痛くしないでくれ」という気持ちが複雑に交差する心のスクランブルエリア…なんてごちゃごちゃ考える暇もなく、耳鼻科に入って保険証と診察券出したらすぐ呼ばれた(笑)よっしゃ、男DY37歳、腹をくくるぜ。
先生に症状を告げたら、鼻の中をちょっと見て、消毒だったのかな?一瞬何かをプシュッとされて、続いて吸引機みたいなので花の中をチューチュー吸われました。どちらもほんの一瞬。「じゃーレントゲン、とりましょうか」ということで2枚撮影。
鼻のレントゲンなんて撮るの初めてで、勝手がわからずちょっとナースをてこずらせてしまいましたが、すぐに撮影終了。いつも思うんですが最近はレントゲンもデジタル化されてて、すぐ先生の手元のPCで画像を確認できたりするようですね。
時々「カコン♪カコン♪」って、なにかをPCに接続したり切断したりの音が聞こえてましたが…たぶんXP(笑)病院内のシステムはXPから上がってない様子。そして画像診断の結果、「蓄膿がありますね」とのことでした。
右側がだいぶ白くにごってて、左側も多少ありますという説明で、とりあえず飲み薬と点鼻薬を処方していただき本日の診察は終了。びびりにびびりまくったけどこの程度で済んでよかったわー。そして今に至ります。
初めて点鼻薬をさしましたけど、「おうっ!!」ってなりますね(笑)プッシュしたときにけっこう勢いよく出るっぽくて、いきなり鼻の奥をずんってやられた感じがして。痛みとかはないんですけど慣れないとちょっと気持ち悪いというか。
そしてそもそもちゃんと入っているのかどうかも心配(笑)まー垂れてくるような感覚はないし口の奥の鼻側のどこかに何かが入った感覚はあるので大丈夫だろうとは思いつつ。そんなんでお薬を昼と夜の2回インストールしましたが、気持ちがいいですね。
鼻の通りがぜんぜん違う感じ。やっぱ耳鼻科行ってよかった。とりあえず1週間様子を見ましょうということなんですが、このまま落ち着いてくれると嬉しいなーと思います。早く治ってくれないと秋に飛行機に乗れないじゃないの(笑)
2016_06
20
(Mon)17:56

一部で「変体」と言われているおれがたまには真面目に性を考えてみた(閲覧注意)

ここ数年の梅雨の傾向として、毎日のように雨の日が続くってのじゃなくて、一度にどっさりとその年の雨量が降るというのがあると思います。今まさにその状態ですね。昨日からここ大分、特に明け方は雷の音もゴロゴロと響いてました。
関東方面の水がめがどうのという話題もある中でこっちはこんなに雨が降って…みたいな思いもありますが、昨日も書きましたけどやはり熊本や、同じ大分でも山沿いの地域がすごく心配。今日は警報やら土砂災害警戒情報やら出てましたし。
一時的に避難勧告が出てたりする地域もあるのでしょうか?特に度重なる地震で地盤が弱くなっているところもたくさんあると思うので、ほんとこの梅雨の時期を安全に越えられるか。そこだよね。不安な日が続きますが負けないでほしいな。
さて、本日のエントリーですが、ちょっとなにな話をします…はっきり言うと性的な内容も含みます。昨今、芸能関係のニュースやらでもなんだか乱れた性のにおいがぷんぷんするじゃあないっすか。
そこも含め、最近いろんな人と話をする中で自分なりに多少悩んだというか、自分のことも含めていろいろ考えさせられることがちょいちょいあったので、考えをまとめるという意味でもちょっと書いてみようかなって思いました。
あくまでも僕の個人的な思いなので、これが正しい答えではないし、皆さんに押し付けたいわけでも同意を得たいわけでもない。ただ単に自分の考えを残す。なぜならばこのブログはDYさんの進化論だから。なので、あまりこういう話題が得意でない方はそっと表示を切り替えてください。
↓同意いただける方は追記欄へどうぞ。

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2016_05
31
(Tue)21:10

祖母の入院についてのお話

ブログではご無沙汰しています。5月の中旬を過ぎたあたりから夏を思わせるような気候に変わってきましたが、皆さんいかがお過ごしでしょう?体調崩してる人も多いみたいですね。
僕はというと、いわゆる5月病…とは違うよね、年中なんかいろいろ思い悩んでますけど(苦笑)特に今月はいろいろ考えるところありました。仕事のこと、家族のこと、友人のこと等々。言えること言えないことひっくるめてたくさん。
でもそのたびに僕の気持ちの変化を察知してくれてあったかい言葉をかけてくれる人がいたり、おもしろい話を持ってきてくれる人がいるってのはほんとありがたいです。おかげさまでなんとか生きてます。そして、ぼちぼちですがミュージシャンもやれています。
このミュージシャン話も言えるもの言えないものいろいろあるんですが(笑)言えるものとしては年内目標のアルバムをじわりじわりと作っています。今月は比較的順調に進んだかな?2曲あげました。まだまだ道は長いですががんばるですよ。
さて、今日のエントリーですが、いろいろあった5月の出来事から一つ、言えないものが言える感じになったので書き残しておきたいと思います。実は2週間ほど、祖母が入院していました。
ことの始まりはおそらく昨年末ぐらいにまでさかのぼりますが、急に節々の痛みを強く訴えるようになって、その痛みがひかないジレンマみたいなものからくる欝症状が深刻になっていきました。
病院をいくつか受診してCTなどこまごました検査をしても痛みの原因が特定できない。医師にもよくわからない。わからないゆえに「お年のせいですかね?」などという、一番言ってはいけないせりふをどこでも言われる。
余計に欝症状が深刻化していきまして、そんな仲あの地震が起きました。それが引き金になったのかどうかはわかりません。今度はめまいや足のふらつきといった症状が出始めました。もう見てられないぐらいでした。
そして5月4日の朝、ついに祖母は転倒して動けなくなりました。5月4日の朝は僕、先日告知してましたバタラジさんの24時間ツイキャスで朝の枠を担当してたところでした。まさにその途中です。
朝食のときは祖母と一言二言交わしたと思うんですが、足取りは悪かったものの比較的調子がよさそうだなと思って僕は自室に戻って続きを配信してたんですけど、戻って30分ぐらいしてからかなー。救急車のサイレンが聞こえてすごい近くで止まったんですよ。
そのときはまさかうちだとは思いもしなくて…。そしたらいっしょに住んでるおばが駆け上がってきて、今から救急車で病院に行くってので。青ざめましたねー。んで配信メンバーにちょっと離籍することを伝えて僕も下に降りて。
一緒に行こうとしたんですがもう救急車が出るところで、僕はなにもできずただその救急車の背中を見送った感じ。そんなことがあったんですが、なんとかバタラジの朝9時までの枠をやりきりはしました。
結局その日は連休中だったこともあって病院でもきちんとした検査ができなかったらしく、後日ということで祖母は帰ってきました。そしてまた、救急車で運ばれたという事実がショックだったみたいでますます元気をなくしてしまった印象でした。
それから2週間ぐらいしてかなー。その間にもかかりつけの医師に診てもらったり定期的に通院はしていたんですが、一度入院してじっくり検査しましょうということになり、5月18日に入院したというわけです。それから2週間、無事に祖母は帰ってきました。
CTやMRI、あと頚動脈エコーの検査もしたようです。僕は一過性脳虚血発作を疑っていたんですが、医師からはその診断はくだらなかったみたい。ただ一過性なので、詰まった直後じゃないとなかなかCTでもMRIでもつかみきれないのはあるんだと思うんで、どうなんだろう?
ひとまず帰ってきた祖母は、入院前に比べると元気な印象がありました。いろんな意味で安心したのもあるんでしょう。そして、14年前に亡くなった曾祖母が「早く家に帰らんと」と語りかけてきたというスピリチュアルな話も聞かせてくれました。
僕は立派でもいい孫でもないんですが、ちっちゃい頃からずっと祖母と一緒でした。亡くなった母よりもたぶん一緒でした。自分のことで母と祖母がしょっちゅう喧嘩をしているのも見ていました。それは自分のせいだけではないのかもしれないけどね。
でも、祖母が母と言い争っていると決まって僕は祖母のみかただった気がします。そんな僕を母はどう思ってたんだろうね?そんな祖母。いつまでも一緒にいられるわけじゃないことはわかってるつもりだったけど、今度のことではいろんなことを考えました。
気がついたら自分ももうこんな年になってた。まだまだ若いつもりでいたけど一人の人として、大人として、歩いていけるんだろうかっていう不安。気がついてる部分でも気がついてない部分でも僕はやっぱりあまえんぼだったなとも思いました。
それでもまだ祖母には逝ってほしくないなっていうのは…やっぱりわがままでしょうか?けど何一つ返せてない気がするんです。自分がちゃんといられていない気がする。せめて僕が一人の男としてどんな形でアレ家庭を持つまでは祖母には逝ってほしくない。
家庭を持って家族を持って、「おれ、もう大丈夫だよ」って言えるまではまだ祖母には…。おじと母が次々に逝ってしまって、次は祖母なのかと…正直覚悟をしないととも思ったけど、気がついたら毎日、母やおじ、曾祖母に祖母を連れて行かないでくれと願う毎日でした。
そんな願いを曾祖母が聞き入れてくれたんでしょうか?祖母の話を聞いて、ちょっと熱いものがこみ上げてきました。正直、自分が「もう大丈夫」と言える日がくるのかわからないけれど、もう少しだけ一緒にいさせてもらえそうなので、僕もがんばらないと。
もし僕の予想通り、一過性脳虚血発作だった場合は脳梗塞の発症リスクがすごく高まっているということにもなります。退院はしてきたものの安心できる状態ではないと思っています。転倒などにも注意しながら、自分にできることで祖母を守っていけたらと思います。
ちょっと長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます。ひとまずは祖母も僕も安心しています。しかし明日からちょっとだけ新しい気持ちで一歩ずつ、いろいろがんばっていきたいと思います。
2016_04
17
(Sun)06:22

レベル37

まずはこのたびの熊本県を中心とした地震において被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。今これを書いている時間、昨日ほどの回数ではありませんが大分でも震度1・2程度の余震がずっと続いている状態です。
そして1時間ほど前ぐらいから雨も強くなっていますね。別府市も昨日の段階で多くの世帯が断水をしたり、お店からパンやペットボトルの水がなくなったりといったことが起きました。また僕の自宅のお隣、かわらが落ちたりしています。
僕の話ですが、幸いにも大きな怪我や被害には見舞われていません。自宅の風呂場でタイルがすべて剥がれ落ちたり鉢植えがひっくり返ったり、食器棚から幾つかの食器が飛び出したりといったことはありましたがそれぐらいです。
あとは自室、録画用のHDDが倒れたりガジェット系のシンセが落ちる、立てかけてたショルキーが倒れる、マイクが倒れるぐらいかな?ガラスが割れたりするようなこともなくて、何はともあれ命もそうですが怪我もしていないということを感謝しなくてはと思います。
やはり熊本の被害が甚大なのであまり報じられていませんが、大分もいろいろと大変な状況でして、先ほども言ったように別府市内でも6千世帯以上が断水。地震直後に風呂場に散らばったタイルをあわてて片付けて浴槽にたっぷりお水を貯めておいて正解でしたね。
断水で困るようなことは我が家はなかったんですが、念のためにということで近くの神社まで給水に行ったりということもしました。あとは道路もあちこち陥没していたりひびがはいったり、あとフェリー乗り場で液状化現象が出たりとかもしてたようですね。
報じられてる話だと、大分市にあるボーリング場の屋根のモニュメントが落っこちたりしてたようです。町のほうはそこまで甚大な被害は出ていないようですが、やはり由布院とかあちらのほうが大変みたいですね。
熊本も含めてですがまだまだ余震が続いていますし雨も降っています。これから出てくる被害というのもあるだろうし、目には見えない、あるいは見落としている被害というのもあるかもしれません。今後1週間程度は大きな余震がくることも考えられるそうなので、予断を許さない状況です。
引き続き警戒しながら少しずつでも日常を取り戻していきたいと思います。とりあえずの現状、僕DYは生きています。そして本日、無事に37歳になりました。36歳最後の日、とんでもない日になっちゃったなー…とかいうと不謹慎ですか?すみません(苦笑)
まーそんな、上で述べたような状況もありますので、本日更新のポッドキャストの冒頭にもお話していますが、先日予告しました月一恒例の生放送、今月は中止とさせていただきます。
楽しみに待っててくださった方には申し訳ないんですけど、なにとぞご理解、ご了承ください。ポッドキャストも来週以降どうなるか見えないところがあるのですが、必ずまたやりますのでちょっとお時間いただくことがあるかもしれませんが、復活したらまたよろしくお願いします。
そんなわけで37になってしまったわけですが、毎度のことながらまったく実感ないですね。しかも昨日こんなことになったので、目が覚めてしばらくは今日が何日なのかなんてどうでもよく、起きて1時間ぐらい経ってさっきのポッドキャストの冒頭を録音する段階で「そっか、17日か」なんて(笑)
昨日よっぽど緊張して過ごしてたんでしょうか、体中がベキベキ言いそうなぐらいこってる感じ。背中が突っ張ります。誰かもみほぐしてくれー…誕生日プレゼント、それでお願いします(笑)しかし、改めて振り返ってみると36歳、なんだかんだで充実してましたかね。特にプライベート。
パラビでもたくさんの人の支えでたくさん楽しいことをいろいろできたし、おかげさまでミュージシャンとしてもiTunesを通じて自分の曲を販売するというところまでいったし。形はちょっと変わってしまったけれど、学生の頃漠然と考えていた夢や憧れのようなものを適えることができました。
相変わらず仕事においてはつまんねーやつですけど、ここまでできたっていうのは自信持って胸張ってみようかなって思います。そして37歳の目標じゃないんですけどね、目指せフルアルバムってことで、まずはもう一つの目標、アルバムを作るっていうのをがんばります。
あとは今回の地震もそうですけど、しんどい思いをしているような人に向けて自分ができることをきちんと一つずつやっていきたいですね。それはパラビかもしれないし音楽かもしれないし。あんまり無理をしないで着実に一歩はぜったい進めるようにがんばります。
ということで、37歳最初のブログエントリーでした。まだまだ余震が続いています。今これを書いている途中も2回ほど小さな余震がありました。気が休まるときがないですが皆さん、生きようね。そしてまたどこかでお目に、お耳にかかりましょう。
2016_03
11
(Fri)10:31

5年が経って

2011年3月11日、あの東日本大震災から5年が経ちました。日本中が震えたあの日のこと、今も鮮明に思い出されます。この5年、あっという間だったような気も、あるいはものすごく長かったような気もします。
5年とか10年、20年と聞くとどこか「一区切り」とか「節目」とかそういうニュアンスに聞こえがちだけど、被災された方や今もなお立ち上がるために生きている人にとっては、たとえそれが1年だろうと3年だろうと5年だろうと10年だろうとまったく変わらない。ずっと続いていく。
3月11日を迎えるたびに、僕もあの日のことを思い出しては、自分には何ができるのか、今自分がすべきことはなんなのか。それは誰かのためとかじゃなくて、自分が何をどうしたいかも含めて何ができるのかを考えるそんな5年でした。
これが正しいわけじゃないとは思うけど、とにかくあの5年前にみんなが震えたあの日、悲しみと絶望に打ちひしがれたあの日、不安でどうしようもない人たちをなんとか支えたいと思ったあの日を忘れないでいること。そしてその上で何をすべきなのかを自分に問う。
被災地から遠く離れたところで、あの日だってなにもできずただおろおろしながら友人の安否だけをただ気にかけることしかできなかった僕に偉そうなことを言う権限なんてないのかもしれませんが、あの日のことだけはこれから生きていくうえでどんなに自分が幸福であっても不幸であっても忘れないでいたいです。
この5年、自分の中でもいろんなことがあり、変わらずにいるものも大きく変わったものもいろいろありました。変わらず続けてきた音楽やポッドキャストを通じてたくさんの人たちと出会いました。職場が移転してバス通勤を始めたりもしました。
おじが死に母が死に、自宅を引っ越し、生活環境が大きく変わった面もありました。そして今、自分の音楽を販売できるというスタートラインに立ったりしたところです。こうしてみると5年で僕の周り、けっこう変わったんだなー。
そんな仲、5年前のブログ記事をさかのぼってみてみると、考え方とか人との関わり方とか「なんだよ、おまえ今もなんにも変わってねーじゃん」なんて思ってちょっと落胆したりもしました。うん、あまりにも変わってなさすぎて真面目にへこんだ(苦笑)
けどまー、これが僕なんだと思います。これからも中身はそう大きく変化しないんじゃないかな?変わらなきゃいけないところはたくさんあるし変えないと進めない部分も確かにあるけど、なにぶん歩みが遅いので…最近、特にそのスピードが落ちてるんじゃないかと感じることが多々あって真剣にへこんでるんだけど…。
気がついたらみんな僕よりも半歩も一歩も…いや、十歩ぐらい先をいってるような気がして、どんどん取り残されていくような、一人ぼっちになっていくようなそんな感じがして、周囲のスピードに目をまわしています。これでいいのだろうかと思うことも。
「ウサギとカメ」のカメさんにはなれないみたいですが、20年かかってやっとスタートラインに立てたこともあります。がんばらなきゃね。僕も僕にできることを、今できることを精一杯やろう。そんな3月11日のエントリーでした。
2016_01
09
(Sat)16:23

一周忌

母が亡くなって今日で1年になります。あっという間でもあり長いようでもあり、どこかまだにわかに母がもういないという事実を飲み込めていないようでもあり…悲しいのか悲しくないのか、まだどこか不思議な気持ちで今日を迎えました。
1年前の今日のこと、今でも鮮明に覚えています。冷え込みの強い朝でした。朝っぱらから少々気分の悪い出来事があって、ムカムカしながらしたくして仕事に出かけようとしたら、出掛けに祖母から母の危篤の知らせを聞いて。
その日は落ち着かない気持ちで1日仕事をこなし、夕方母の死を知らされました。朝の時点で駆けつけた祖母でしたが、面会できたときは既にもう遺体だったそうです。
朝の時点で亡くなった母なので本来ならばその日のうちにお通夜となるんでしょうが、火葬の手配が込み合っててできなかったらしく、翌日の夜にお通夜、日曜日に葬儀となりました。
以前にも何度かここでも書いていますが、僕と母の親子仲はけして良好とは言えなかったと思います。むしろ僕は母が大嫌いでした。お互いに上手に甘えて甘えられて、素直に話し合ってということができなかったんだと思います。
そこは親子なんでしょうね、不器用だし口下手だし強くもないくせに強がって。そんな母からの最後の頼みだったんでしょうかね?葬儀の日を日曜に選んだ。「骨ぐらい拾いなさい」っていう。
不思議なもんで、もう動かない、しゃべらない母を目の前にすると、あれだけ大嫌いだった人なのに涙が溢れて止まりませんでした。それでもきちんとこれだけは伝えようと思ってたこと、視覚障害の自分を生む決意を最初にしてくれたことへのお礼を伝えようというのはありました。
葬儀のとき、葬儀社の方がすごく気を遣ってくださったのが印象的だったなー。本来ならばあまり遺体にベタベタ触るものではないと思うんですが、僕の目が不自由だということを慮ったのか「棺をもう閉じますがよいですか?お触りになりますか?」って何度も聞いてくれて。
僕が母に最後にかけた言葉は「バイバイ」でした。幼い頃、夜の仕事に出かける母を見送るときにいつもそう言って見送っていて。僕にとっての「バイバイ」はさよならじゃなくて、母が次の日にはちゃんと帰ってきてくれるのを知っていたから…。
もう帰ってこないこと、そんなのは当たり前なのに、棺の中にいる母に向かって僕は「バイバイ」と言いました。どこかで母の死を嘘だと思いたかったのかもしれません。あの場にいた人の何人があのバイバイの意味を知っていたのか…いや、そんなことはどうでもいい。母がわかってくれさえすれば。
そんな突然の別れから1年が経ちました。冒頭にも書きましたが未だ複雑です。ずいぶんとお金のかかった芝居をうたれたんじゃないかとか、そんなことを思うことすらあります。あれだけ嫌いだったのに、時々ですけど母のことがちょっとだけ恋しくなります。
36にもなってこのざまです。仕事もうまくいかないもどかしい毎日を送ってます。ネットラジオとかではずいぶんとでかいことをいろいろ言ってますが、プライベートはまったくもってさえない引きこもりな感じです。母はこんな僕をどう思ってるんだろう?
そんな今日、一つの曲が生まれました。母に買ってもらったシンセがおもしろくて、時間も忘れて打ち込みに没頭してた頃以来ってぐらい、徹夜で仕上げた曲。今日は仕上げの段階だったのでひたすらDAWでの作業でしたが、ちょっとすごいもんができたなって感じで。
詳細はまだ言えないんですが、ミックスを昨日の夕方6時半ぐらいから始めて、すべての作業が終わったのが明け方4時過ぎ。出来上がりの頃には一人でモニターしながらジーンとくるものがありました。母の一周忌にこの曲をやってるってのにも何かしらのものを感じます。
そんな一周忌の今日でした。健康でいられること、丈夫に生んでくれた母に感謝をしつつ。いろいろ大変だけど…時々死にたくなることもあるけど、でも生きてます。そっちはどうですか?こっちは、まーいろいろありますけどたぶん大丈夫です。
安心…できないだろうけど心配しないで。そんな感じ。さて、これから風呂入って明日更新のポッドキャストの準備だー。まだなんも編集してないぞー(笑)