2009_10
20
(Tue)21:03

今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか

先週飛び込んできましたなんともショッキングなニュース、加藤和彦さんの自殺という話題。昨日親しい関係者のみの密葬が行われたようで今朝ズームインの中でそのことを取り上げていましたが、その中で遺書と思しきメモの内容も公開されたそうです。
その内容がまたなんとも切ないというかショッキングでした。「これまでに自分は数多くの音楽作品を残してきた。だが、今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい」と書き残されていたといいます。
少なくとも今の世の中で音楽を必要と思って生きている僕としてはこの加藤さんの最後の言葉がすごく悲しく響きました。もちろん音楽だけで生きていくことはできません。だけどこういう寂しい暗い世界にふとメロディーが聞こえてきたとき、光よりも早く心に届くことだってあるんです。
それはどんな優しい言葉よりも時に強く、時に暖かく、そして時に厳しく。一言では言い表すことができない圧倒的な力が音楽にはあって、その力を信じて音楽に接しています。加藤さんと僕の違うところはその一歩先に出られたか出られなかったかってとこだと思う。
まだ将来の目標が漠然としていた高校時代、それこそ量目の光を完全に失って浅倉さんの音楽と出会ってシンセを手にした頃、音楽に接する仕事が何かできたらいいのにって本気で考えたこともありました。
今よりも遥かに世の中ってものを知らなかったというのもあるし、若さゆえの大人たちへの反発というのもあったんでしょう。とにかく「視覚に障害がある人は按摩やマッサージ、鍼灸の仕事につかなくちゃならない」みたいな風潮がもう嫌だった。
かと言って何ができるわけでもなくどうしていいかもわからず流れ流れて結局はマッサージの専門課程に進んだ自分。高校卒業と同時に大阪府立の学校(音楽家)への進学も考えたこともあるのですが自分には踏み出せなかったんです。
知らない土地、知らない人たち、知らない環境。いつでも帰ろうと思えば帰れる場所でないところでの生活に飛び込む勇気が自分にはなかった。あのときもしその一歩が出ていたらもしかしたらほんのちょっとは今よりも変われてたのかもしれないけど…。
結局18の僕は夢ではなく現実性を選んでしまったわけだけど、そのことで出会えた人もたくさんいるし後悔はしていません。毎日マッサージを通じてお年寄りとお話をしながら時に行き詰まったりどうしていいかわからなくなることもあるけど、けっこう楽しいです。
それにあの頃と今と音楽に向き合うときの気持ちは少しも変わっていないって思う。ネットの恩恵なんかもあって知識はそこそこ増えたけど、「あの曲のこの音がおもしろい」とか「自分だったらこういうフレーズを混ぜるかな」みたいな聞き方も変わってないし。
そういうのを抜きにしても自然と口ずさめるようになった歌を何度も繰り返し聞いたり、歌詞に込められたメッセージを聞いたり涙を流してみたりふと笑顔になってみたり。自分にとっての音楽は間違いなく心の潤滑油として機能していて、これをなくしてしまったら自分が自分ではなくなってしまうと思うのです。
他の人にとっての音楽ってどういうものなのかは人それぞれだと思う。全く必要ない人だっていると思うし。でもきっといつの時代も音楽が人々を支えてきている気がする。戦後の日本が焼け野原だったときも高度成長期のときも、バブルに湧き上がっていたときも平成不況のときもみんな歌ってた。
その形は歌声喫茶やスナック、カラオケボックスと変わっているけれど歌うという文化は衰えていない。路上でギターをしょって歌っている子やそれを見つめるギャラリーもいる。日本以外に目を向けても祝いの宴には必ず音楽、歌がそこにある。どんなに時代は変わっても必要なものだと僕は思います。
全ての人が必要としているものではないにせよ歌や音楽で不幸になった人の話を僕は聞いたことがありません。加藤さんはご自身が作る音楽に対して行き詰まりを感じており、欝症状も出ていたようでお気の毒なことだったとは思うのですが、加藤さんの作ったたくさんの曲たちで心救われた人がどれだけいたかということ。
勇気をもらい励まされた人がどれだけいたのかということを忘れないでいてほしかったな?。いや、それを知っていても言葉では言い表すことのできない虚無感みたいなものがあったんでしょうか?本当に残念です。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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