2014_09
03
(Wed)14:13

冷酷な甥

久しぶりのエントリーですが、これから書く内容には少々重い部分が含まれます。僕自身もこの内容をここに書くべきか否か少し悩みましたが、気持ちを整理するという意味でも書き残しておこうと思いました。
わざわざ表に公開するものではないかもしれないし、する必要もないのかもしれません。また公開することで「結局おまえは自分がかわいいんだろう?」と思われるかもしれないことも覚悟しています。
しかし、ポッドキャストなどを通じて僕を知ってくれて仲良くしていただいてる方もありがたいことに増えてきました。今後自分が発信するものに少なからず影響を及ぼす部分もあるかもしれないし、心配もかけたくないので書いておこうと思います。
もし読んでいて辛くなったり苦しくなったりした場合は、ページを閉じていただけたらと思います。久しぶりのブログ更新なのにこういう内容になってしまうことを申し訳なく思います。
僕のおじ、母の弟にあたる人がいよいよ危ないということ。昨年の3月に祖母から「余命があと半年だと医師に言われた」という話を聞いてから1年半が過ぎ、余命宣告の半年を考えると1年は長く命を繋ぐことはできたということになります。
しかし、今の僕には「悲しい」とか「死なないでくれ」とか「なんでこんな早く…」みたいな思いはこれっぽっちもありません。むしろ言葉は悪いですが、「さっさとくたばれ」という気持ちしかないかもしれない。
冷静になって考えてみるとおじは人間的に曲がった人ではないと思っています。外に女を何人も作るような女性にだらしのない生活をしていたことも、ギャンブルに溺れて借金で首が回らなくなったり、ろくに仕事もせず…というようなことも僕が知る限りありません。
不器用な人だとも思います。きっと人には言えない部分で一人で苦しんだり悩んだりといったこともたくさんたくさんあったのかもしれません。これも僕が知る限り、おじの口から弱音を聞いたこともないし。それに、元野球部だった学生時代というのもあるのでしょうか、熱い面もありました。
僕が左目を失明したとき、親戚一同の中で真っ先に祖母を車に乗せ病院に駆けつけてきたのはおじでした。月曜の昼下がり、今でもはっきり覚えています。「おい、担任はどこか?」というあのおじの声は忘れたくても忘れられない。
左目眼球の摘出手術中に当時の担任に殴りかからんばかりの剣幕だったという話を何回か聞かされたこともあります。それから数日、夜には何度も担任の家に電話をかけたという話も。僕が障碍者として生まれてきてしまったがために離婚した母に「おれが大輔の父親みたいなもんだ」と言ったとか言わないとか。
そんな熱い人であり、そこまで僕のことを大切に思ってくれた人であるにもかかわらず、悲しむことができないどころか、「さっさとくたばれ」などと乱暴な気持ちしか渦巻かない我が身を本当に冷酷だと思いますし、寂しいことだとも思います。
おじは酒で家族を、絆を、自分を滅ぼしました。近年は特に酒を飲むと手がつけられないことになる状態でした。自分の母親(僕の祖母)にたいし「あんたの息子に生まれてきたのが残念や」と吐き捨てたり、おばや娘に拳を振り上げることもあったようです。理由はどうあれ僕には我慢なりませんでしたが、口答えしたところでねじ伏せられるのはわかっていたので何も言えませんでした。
そんな状態からおばはどこへ行くこともできず、4年と少し前に従弟とともに我が家に逃げ込んできました。時々大学生の従妹も我が家を帰る場所にしています。今、おじとおばは離婚が成立しているのですが、ずっとそのままです。時々だけど、僕自身がこの家にいていいのだろうかと思うぐらい居場所のなさを感じることがあります。
おばたちの生活拠点をどうのという気持ちはいっさいないし、そのことでおじから何か一言ほしいとか詫びてほしいとか、そんなこともいっさい思わない。でも、さすがに4年前、僕らが暮らすこのアパートに酒乱で殴りこんできたときにはさすがに怒りを覚えました。祖母たちに今にも殴りかかろうとする酒臭いおじを静止するのに僕は必死でした。
変わりに僕が殴られましたが…。「おまえはこいつらがおらんとなんもできんやろうが、目が見えんくせに」という暴言も投げつけられました。まー僕のことはいいんですが、あのときは自分の家族に怪我人が出なかった、それだけが本当によかったと思っています。と同時に、自分に力があればという家族への申し訳なさで涙が止まりませんでした。
週に4日しか働かせてもらえない労働条件の中で、祖母とおばと従弟とをなんとか…。せめて家賃と食費だけでも自分が…。でもちゃんとそれができてるんだろうか?今でも怖くて怖くてたまらなくなります。今当たり前にできているこの生活がいつだめになるか。お金が工面できない…いつそうなるか?考えただけで気が狂いそうです。
パートや在宅でできる仕事、何かないかと探したこともありますが、視覚障害である自分にできる仕事には限りがあり、今もそういう将来への不安につぶされそうになりながら、それでも生きていくしかないわけで。「こいつらがおらんとなんもできん…」おじの言葉はけして全て間違ってはいないのも悔しいけれど現実です。
過去は過去のこととして忘れられない思い出ですが、祖母やおばに理不尽に暴力を振るおうとしていたあのおじの酒に狂った姿を僕は許すことはできません。そしてその末路がこれです。もういいかげん、僕たちを解放してもらいたい。酷い考え方だけど、それしか思えないです。ただ死んだら死んだでどうなるんだろうという不安もあって。
葬式代とかその後の費用とか。おじがどれだけの資産を残しているのかは知らないけれど、これだけ日常をあっぷあっぷしながらなんとか工面している中で僕に出せるお金はほぼないので…。つくづく自分が冷酷だなって思う。人が死のうとしてるのに金の心配しかしてない自分が…。
そもそも僕が生まれてきてしまったことが間違いだったんじゃないかと思うこともあります。目が見えない自分のために祖母は車の免許を取り、母は水商売をすることになりました。おじにしたら自分たちの家族を僕に全部持っていかれた、奪われた、そう思っているかもしれません。それが全てではないのだとしても…。
「大輔、おまえさえ生まれなければ」とどこかで、ほんの一度でも脳裏を掠めたのだとしたら、生きてて申し訳ないのは僕のほうです。そんなことを考えるここ数日です。こういうネガティブなことはなるべく考えないようにしたいとは思ってるしわかってはいるんだけど、毎日のように疲れていく祖母を見ていると「ごめんなさい」という気持ちでいっぱいになります。
彼にしてみれば積もり積もったいろいろなものがあって酒にすがるしかない人生だったのかもしれません。そして孤独を選んだ。それなのに死ぬ直前になって、「あんたの息子で残念や」と罵った祖母に世話を焼かせ、子供たちに会いたいなど…どの口が言ってるんだとぶん殴ってやりたいぐらいです。こんなことしか思えない僕こそが死ぬべきなのかもしれないけれど、僕が死んだところでなにも家族に残すものはないし。
酒に溺れて酒に飲まれて自分よりも先に命を閉じようとする息子を祖母はどんな気持ちで毎日見てるんだろう?そう考えるとなんともいえない気持ちになります。僕もけして器用なほうではないですが、なんとか祖母の支えになりたいと思います。生まれてきてごめんなさいだけど、生まれたからには逝きます。それが使命ってやつなんでしょう。
僕はたとえ何が起きても誰がなんと言っても、おじに会うつもりはありません。弱っているおじになにか酷い言葉を投げつけそうだし、この世を去る前に少しでもそんな辛いことは少ないほうがいいと思うからです。殴ってやりたいし蹴飛ばしてやりたい。だからこそ会わない。そのほうが少しはおじも心穏やかに眠れるでしょう。
今すぐどうこうということではないようなので、今後あるいろいろな予定はキャンセルせずに楽しんだり笑ったり喜んだり、僕は普通に生活することにします。ただもうろれつもまわらないらしいし、酸素吸入も始まったそうです。いろんな覚悟もしておかないといけませんね。頑張らなくちゃ。
かなり重たい内容になってしまい申し訳ありません。ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。月曜日に「もうそう長くない」ということを聞いてからは仕事の面でもいろいろあってかなり落ち込んでいましたが、いろんな人の支えで気持ちを保っていられてます。
本当にありがたいです。無理をするつもりはないですが、その感謝として少しでもお返しできるようにいろいろ楽しいことをやろうと思っています。僕だけじゃない、みんな生きてるといろんなことがあると思う。辛いことのほうが多いかもしれないけど、僕はおじのように孤独を選ばないよう、生きます。
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