2014_10
30
(Thu)01:02

おじの死

日付が変わりましたが先ほど29日の23時ごろ、おじが息を引き取りました。享年53。一般的には「まだ若いのに」「早いね」「無念だっただろうね」などなどこういった言葉を探すのが普通なのでしょう。でも、僕にはかける言葉も探す言葉もありません。寂しいことです。
それは9月3日のエントリーであらかた書いてしまったので…まーそういうことです。改めて今読み直してみても、ここから大きく気持ちは変わっていません。自分を酷いやつだとも思います。
なにせおじが亡くなったことをネタにこうやってブログ記事を更新しているぐらいですから。しかし、脳内はいろんなことを考えています。人が生まれるということ、生きていくということ、死ぬということ、自分が生まれた意味、生きていく意味。
そんなことを昨日、病院から祖母に危篤の連絡があって家族が病院へ出かけていってからずっと考えています。自分がおじに対して許せないこと、許せない小ささ。十二分にわかっています。死ぬべきはおれなんじゃないか…何度も何度も。
夕食のとき、祖母がぽつりぽつりとおじが生まれた日のことを語りました。「はよ楽にしてあげたい」「死んだら楽になるやろうに」と口では言っていても、やはり母親なのだと思いました。その声はとても寂しくて弱弱しくて悲しげで…いつの間に祖母はこんなに年を取ったんだろうと。
どんな気持ちなのだろう?自分がお腹を痛めて生んだ息子が自分よりも先に逝く。「親不孝な息子や」と言ったその声もたまらなく悲しい声だった。それも含めて僕はおじをどうしても…どうしても許すことができません。本当に申し訳ないことだけど、僕には許せない。
もしおじにかける言葉が一つだけあるのだとすれば、馬鹿やろうだと思います。気がつくと馬鹿や労を連呼しながら一人、部屋で号泣していました。おじのことではもう泣かない、そう決め手いたんだけど…。おじは死ぬ間際、どんな気持ちだったのでしょうか?
4年前、酒乱で我が家に殴りこんできたあの日、あの瞬間がおじと言葉を交わした最後でした。僕はそのときおじの気持ち、本心を聞いた気がしています。「こいつらがおらんとおまえはなんもできんやろうが。目が見えんくせに」、僕を一発殴って確かにそう言いました。
僕が生まれ成長していくにつれておじの人生設計みたいなものがいつしか崩れていったんじゃないか?そのことにいらだつことが少なからずあったんじゃないだろうか?4年前のあの日から今日まで、おじの病状を聞くたびにそんなことをぼんやり考える日々でした。
そして思い過ごし…考えすぎ…と思いなおしてきました。おじがいなくなった今となってはもう話すこともできないですが、もし無効で会えたときは一言でもいいからその辺、話せたらいいですけど。しかし、人が死ぬということ、もう会えなくなるということ。こんなに残酷なんですね。
曾祖母のときに思い知ったはずなんですが、慣れないです。いや、慣れてはいけないことではあるんだけど。なんだか取り留めなくなってきました。よくわからない文章で申し訳ないです。とにかくおじが亡くなったこの瞬間、今感じていることを思いのままに書いてみました。
祖母たちがどう言うかはわからないですが、僕はおじの葬儀には出ないつもりでいます。上で述べたことが主な理由です。祖母は僕のスーツをクリーニングに出すなど準備を進めているようですが、どうしても出る気になれませんし、最後ぐらいは祖母や自分の家族と水入らずがいいんじゃないかと。
「考えすぎ」「思い過ごし」そう言ってくださる方、思ってくださる方もいるでしょう。でも、死んでいるとはいえおじに会ってしまったら叫んでしまいそうなんです。「馬鹿や労」と。そして殴ってしまいそうなんです。ブレーキをかける自信がありません。自分の父親や息子に対して葬儀の席でそんな台詞を吐く人がいたらどうでしょうか?
それも含め、僕は僕なりの別れをしようと思います。今夜は眠れそうにないため取り留めなくブログエントリーを書いてみました。ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます。あと、これから生活面においていろいろと変化が訪れることに鳴ります。まずは、おそらく今住んでいるアパートから引っ越すことになると思います。
おじが立てた家に移り住むことになりそうです。おじからしたらどうなんだろう?「おれが死んだのをいいことにおれの家でやりたいほうだいやりやがって」って思わないだろうか?あと、これに伴い別府氏の中心部から少し離れてしまいます。交通アクセスがどうなってるのかわからないのですが、それも含めていろいろです。
なにより祖母の心中を思うと涙が止まらなくなります。僕がしっかり祖母を支えなくては、そう思います。いつのことやらわからんけれど、散々世話になっている祖母には僕の嫁を見せてあげたい、そう思うのです。だから、頼むから祖母をそっちに連れて行ったりしないでくれよな。頼む。それだけは頼む。
まー、最後は憎みあったままの別れになっちゃったかもしれないけど、熱い面は嫌いじゃなかったよ。ファミコンとかもいっしょにできて楽しかった。刺身の味も教えてくれたのもあんただったしね。それだけは感謝してんだ。ありがとな。そして、闘病生活についてはお疲れ。いつかそっちで会おう。バイバイ。
スポンサーサイト

C.O.M.M.E.N.T

コメントの投稿

非公開コメント

トラックバック