母の死

嘘みたいな話ですが、2ヶ月ちょっと前におじがなくなり、その姉である僕の母が、まるでその後を追うように今朝亡くなりました。まだ母と対面していないので半分は信じられない部分もあるのだけど…。
母もおじと同じ、アルコール性の肝硬変でした。母は再婚していて、別の家で暮らしており時々は夕飯を食べに来るようなそんな間柄でした。ここ最近は目に見えてやせ細ってきていたようです。
祖母や周りの人間からそんな母の様子を聞かされており、「もうそう長くはないのかもしれない」というぼんやりした覚悟、実は数年前からしていました。そしてくるべきときがきてしまった。
母は昨年末、再婚相手と夫婦喧嘩をしたらしく、1週間ほど今僕が暮らしている新居にいたのですが、その最後の日。朝から祖母の怒鳴り声が聞こえてきて「何事か」と思ってリビングに下りていくと、祖母と親子の些細な言い争いがあったようでした。
1週間ほどの滞在だったのですがこの親子喧嘩でいたたまれなくなったのでしょう。荷造りをしながら「またくるけんな」と…。それが母の声を聞いた最後で、僕はその声に背中を向けました。
その親子喧嘩、祖母の言い分は間違っていなかったと今でも僕は思っています。なのでそのとき母に背中を向けるという意思表示も間違っていなかったと僕は思っています。客観視すればなんて酷いことをするんだと思われてもしかたのないかもしれない。
母にしてみたら、祖母にしかられ息子にも背を向けられ、冷静になって考えてみると、あのあとの帰路は孤独だっただろうなと…今更思っても遅いですが。でも後悔はしていなくて。それがおじの49日の日でした。おじが呼びつけたのでしょうか?
おじのときと同様、母の死を僕はまだ悲しいと思えません。酷い息子だと我ながら思います。親孝行らしいことも何一つしてないですし。苦労かけっぱなしだった免もあるよね。そもそも僕が生まれてきてしまったことそのものが苦労の始まりだったかもしれないですね。
僕の目を治療するために東京の病院まで通う。その治療費と旅費を出すのに水商売をすることになり、それが酒と母を深すぎるほどに結び付けてしまった。母が酒で死んだのは自分にも責任の一端があるのかもしれないなと思ったりもします。
僕が視覚障害者として生まれてこなければ、母にとってもおじにとってもこの家族にとってももっともっと何か違う未来が、現実があったかもしれない…なんて、35年も生かしてもらっておきながらこんなこと言うと罰が当たりますね。
明日が通夜で明後日が葬儀です。最後の最後に母は母親らしく逝ったのかもしれません。おじのときは正直逃げた。おじを憎んでしかいない自分が悲しみにくれる人たちの中でどんな顔をしていいかわからなくて、仕事を理由に逃げた。
でも葬儀の日は日曜日です。「骨ぐらい拾ってよ」という母の願いなのかもしれません。おじとは違い、どんな母であれ視覚障害である僕を生む決意を最初にしてくれた人です。ちゃんと向き合って、ちゃんとお別れしてこようと思います。
なんだか取り留めなく書いてしまいましたが…ここまで読んでくださった皆さん、どうもありがとうございました。僕は生きてます。これからも生きていきます。母やおじの分まで祖母を、家族を守って生きていきます。

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