2017_03
29
(Wed)22:24

祖母の死

今日のお昼過ぎ、一緒に住んでいるおばから闘病中だった祖母が亡くなった事を知らされました。癌告知、余命宣告から1ヶ月。本当にあっという間でした。そして37年間、距離的にも精神的にも僕の一番近いところにいてくれた人が一番手の届かないところに行ってしまいました。
こういう言い方をしてしまうとよくないのかもしれませんが、一昨年亡くなった母よりも僕が祖母と一緒に暮らした時間は長かったのではないでしょうか。間違いなく今の僕、DYという人間を作った人です。
でもそれは僕自身の甘えでもありました。視覚障害者として生まれた自分を誰よりも守ろうとしてくれた祖母。小さい頃、年上の子供たちに目のことでいじめられたときはどこからともなく現れて「あんたたちの学校では目が見えない子がいたら容赦なくいじめてもいい、そう習ったの?」と一蹴してくれたこともあります。
なんとか僕の目を治そうと全国各地を飛び回って、東京の病院まで3ヶ月に1回、検査のために一緒に行ってくれたのも祖母。教師の体罰で左目を失ったときも一緒に泣いてくれた祖母。僕が中学に上がるとき、嬉しそうに制服姿の僕を写真に収めたのも祖母。
高校2年で右目の眼球が破裂して大出血して救急搬送されたとき、「なんで大輔だけがこんなめにあわんといけんのか」と泣きながら現れたのも祖母。母とその恋人と暮らしていたとき、どうしても馬が合わずに悩んでいた中で「うちにくるかえ?」と手を差し伸べてくれたのも祖母。
三療師の国家試験に合格したことがわかったとき、「あああああ・・・よかったなーーー」と誰よりも喜んでくれたのも祖母。社会人なり立ての頃、ガイドヘルパーを頼もうと市役所に行ったら門前払いを食らって、そのときに自分よりも激怒していた祖母。
以前勤めていた職場で少々理不尽なめにあったとき、一緒に職場までついてきてくれて上層部との話し合いに悔し涙を流してくれたのも…みんなみんなみんなみんな祖母。一番近くで一番のみかたでいてくれた人。そんな人を僕は、ひょっとしたら最後の最後に裏切って傷つけたのかもしれない。
たぶん、いなくなるべきなのは祖母じゃない。祖母はいなくなっちゃいけない。死ぬべきは僕なんだと思う。僕がいなければみんな幸せだった。誰も傷つかなかった。間違っているかもしれないけどこの数年、僕はずっとこの気持ちを抱えてきました。
育ててくれた祖母に、少しでも返したいと思ってずっとやってきました。社会人になって働き始めて、給料をもらえば自分の小遣いだけ1万ほど引いてあとは全て家に入れるとか。一度、誕生日にコートを買ったこともあったっけ。
そんなちっちゃい、本当にちっちゃいことです。別に恩を着せたいわけじゃなくて。それぐらいしか僕にはできなかった。でも僕はそのことが幸せだった。「ありがとうな」と言ってくれる祖母の声が嬉しかった。でも申し訳なくも会った。
「これだけしか渡せなくてごめん」っていう気持ちもあった。好きなことだけやってきたわけじゃない。それなりに我慢だってした。間違っているかもしれないけど、僕なりの僕にしかできない家族の守り方だった。祖母との生活を、祖母との幸せを。
だからおじや母が祖母を残して先に死んだとき、僕は許せなかった。自分は親になったことがないからわかった風なことを言うようだけど、子供に先に死なれる親の辛さは仕事の中でも何度も耳にして自分なりに受け止めてきたから。
今となってはそういう僕の考え方や祖母への依存というか甘え?これが本当に僕のためだったのか、祖母のためだったのか。確かめる術はありませんし、最後の最後に…ここには書けないのですが14年ぐらい前の過ちというのがあって、そのことでいろいろ。
なんだか取り留めなく書いてしまいました、ごめんなさい。もう祖母はおじや母、曾祖母には会えたでしょうか?結局、左記に記した誰一人、僕は直接死に目に立ち会っていないんですよねー。そこも含めて最低だな、おれ。
自分の人生で本当に一番近いところにいてくれた人がいなくなったこの事実。飲み込まなきゃいけないんだろうけど、ちょっと今は無理みたいです。確かに悲しいんだけど、でも悲しむことすら僕には許されないような気さえしています。
頭の中がぐちゃぐちゃなので、整理しようと思って書き始めたんですが、ぐちゃぐちゃなまま出す形になってしまって申し訳ありませんでした。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
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